宗教美術を否定するプロテスタント、肯定するカトリック

 宗教改革によって、信者だけでなく収入も激減したカトリック教会は反撃に打って出ます。1540年、教皇パウルス3世はイエズス会を認可し、全世界へ布教伝導の徒を放ちました。フランシスコ・ザビエル(1506~52年)が戦国時代の日本へ来日したように、1549年以降、イエズス会は日本でも積極的にキリスト教を広めていきます。

 さらに、パウルス3世は北イタリアのトレントで公会議を開催し、プロテスタントの主張を否定する一方で、ローマ教皇庁の改革を推し進めました。プロテスタントを牽制すると同時に、カトリック教会も自己革新運動(対抗宗教改革)を進めたのです。

 1545年から1563年にかけて、計25回開催されたこの会議では、美術史に大きな影響を与える決定も下されました。まず、会議の結果、宗教美術自体は崇敬の対象ではないため偶像ではないとされます。そして、その表現には、誰でも一目見れば理解できる「わかりやすさ」と「高尚さ」を求めるよう決められました。宗教美術に対して厳しい態度を取るプロテスタントとは反対に、カトリックはより一層、美術の力に頼るようになったのです。

バロック絵画の代表的な画家ルーベンス作の「聖母被昇天」

 そして、教会芸術の変革が開始されていきます。そして生まれてきたのが「バロック美術」です。バロック美術では、それ以前の宗教美術に比べると、より見る者の感情、感覚に訴える表現がなされていることがわかります。聖書中心のプロテスタントとは違い、カトリック教会は、感情・信仰心に訴えることによってさまざまな奇蹟を、字が読めない人が多かった信者たちに信じさせる必要があったからです。

 また、聖人崇拝に好意的ではないプロテスタントへの反動で、多くの聖人画も描かれるようになりました。カトリック教会が宗教美術の力を利用したのは現代でいうメディア戦略であり、「宗教画=目で見る聖書」によって、わかりやすく、そして劇的に信者の宗教心に訴え帰依させようとしたのでした。

 拙著『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』では、こうした美術の裏側に隠された欧米の歴史、文化、価値観などについて、約2500年分の美術史を振り返りながら、わかりやすく解説しました。これらを知ることで、これまで以上に美術が楽しめることはもちろん、当時の欧米の歴史や価値観、文化など、グローバルスタンダードの教養も知ることができます。少しでも興味を持っていただいた場合は、ご覧いただけますと幸いです。