いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで、本書の著者・木村泰司氏に知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は、「宗教美術」が広まった理由に迫る。
「目で見る聖書」として発展した宗教美術
キリスト教が人々の生活すべてを支配した世界、それが中世ヨーロッパの社会でした。朝は教会の鐘とともに一日が始まり、安息日には教会に出かけて神に祈りを捧げる──。教会は祈りの場だけでなく集会所の役割も果たし、商取引や裁判の場所でもありました。
しかし、392年にキリスト教がローマ帝国で国教化されて以降、西ヨーロッパですぐに統一的なキリスト教社会が確立したわけではありません。キリスト教が国教化された後、5世紀に、後の五大総主教区になる5つの主要本山「ローマ教会」「コンスタンティノープル教会」「アンティオキア教会」「エルサレム教会」「アレクサンドリア教会」が生まれました。西ヨーロッパでキリスト教が広まっていった背景には、そのうちのローマ教会の思惑とフランク王国が結びついたことがあります。
フランク王国とは、5~9世紀に西ヨーロッパを支配したゲルマン人の王国です。フランク王国の繁栄は、初期のメロヴィング朝時代、そして後期のカロリング朝時代に分別できます。フランク王国メロヴィング朝の初代国王となったのがクロヴィス1世です。彼の妻がキリスト教徒だったこともあり、彼もまた、496年にキリスト教の洗礼を受け改宗します。ローマ教会は王をキリスト教徒にすることで、西ヨーロッパ中に大領土を持つフランク王国内で、容易に布教ができたのです。
ちなみに、キリスト教は元々ユダヤ教徒のナザレのイエスによって始まった宗教改革運動であり、ユダヤ教から発生した宗教です。つまり、イエス自身も、そして彼の追従者たちも、元々はユダヤ教徒だったのです。彼ら追従者たちと他のユダヤ教徒との違いは、彼らにとっての救世主がイエスであるということで、「救世主(キリスト)=イエス」がキリスト教の絶対的な宗教原理です。
そのため、キリスト教が国際宗教へと発展していった際も、ユダヤ教徒の聖典が旧約聖書として共有されていました。しかし、旧約聖書では神の顔を見ることは禁じられていたため、本来ならユダヤ教同様にキリスト教も偶像崇拝を避けるために宗教美術が発展するはずがありませんでした。
しかし、文明的に後進圏だったアルプス以北のヨーロッパにおいて、読み書きができない人々にキリスト教の教えを伝えるために、旧約・新約聖書の物語を絵で表した「目で見る聖書」としての宗教美術が肯定され重要となります。聖堂内には、旧約・新約聖書、そして使徒たちの物語など、キリスト教の教えを伝えるための宗教美術が飾られていったのでした。