人間は必ずしも
合理的な行動をしない

 経済学というものは突き詰めて考えていくと、「世の中にある限られた資源をいかに有効に活用していくかを研究することにより、人々がどうすれば幸せな生活を送ることができるようになるか」を考える学問である。

 ここで言う“限られた資源”とは、必ずしも石油や希少金属といった類のものではない。およそ世の中のありとあらゆるものは“限られた資源”なのである。その限られた最たるものが、「時間」と「お金」だ。したがって、経済学において時間の概念とお金の取り扱い方というのは極めて重要なテーマであると言っていいだろう。

 しかしながら、ここに一つ問題がある。「どうすれば幸せになれるか」と言っても、幸せの概念は人によって異なる。だから万人に適応できる原理原則というものは、なかなか存在しない。とはいえ、それでは学問としては成立しない。そこで経済学では、理論を考えるにあたって“モデル”を作るのだ。モデル、すなわち人間というのは「こういう経済原理で行動する」という“人間の模型”を想定するわけである。

 経済学においては、「経済人」という概念がある。経済人というのは、経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動する、と想定した人間像のことを言う。すなわち自分の利益のみを考え、その利益が最大化するように常に合理的な行動を取る存在という前提で考えられるのだ。

 ところが、人間というものは必ずしも常に合理的な行動をするとは限らない。もし、人間の行動が全て自分の利益を最大化するために合理的に行動するというのであれば、震災が起きた時に、自分の仕事を放ったらかしてまで被災地にボランティアに駆けつけるなどということはしないだろう。

 言うまでもなく、昔の経済学者だって実際の人間は、常に合理的に行動するなどとは誰も思っていなかったに違いない。ところが、経済現象を理論的に解明し定理を打ち立てるためには、数式を使って考えることが必要であり、そのためには「人間は常に自分の利益を最大化するように意思決定する」というモデルを大前提としなければならない。なぜなら人間の心理状況によって判断が変わってくるということになると、変数が多すぎて理論化することが困難だからだ。