中国では、かつて「西鉄城」という日本のブランドは凄い存在だった。日本人読者の多くはご存じではないかもしれないが、これはシチズンの中国語ネーミングである。

十数年前は高級イメージだった
シチズン=「西鉄城」

 1997年3月に発売されたNHKの1997年4月号の「中国語講座テキスト」で、私の新しい連載コラム「莫邦富の新・中国事典」が始まった。新語を通して変化する中国を見つめようという趣旨のコラムだったが、その第1号に私が真っ先に取り上げたのもこの西鉄城だった。それは西鉄城にかかわる、ある微笑ましいエピソードであった。

 以下はその一部の引用だ。

「それは十数年前のことだ。当時、『姿三四郎』という日本の連続テレビドラマが中国のお茶の間に流れ、億単位の中国人がブラウン管に釘づけとなった。当然のように番組のスポンサーである『西鉄城(シチズン)』の広告も人々の印象に残った。

 そんなある日、北京のある幼稚園で入園テストが行われた。幼稚園の先生は子どもに『お家はどこですか』と聞く。天真爛漫な子どもは『西鉄城でーす』と答える。西城区という地名をまだ完全に覚えていない子どもは、なんと発音も似ている「西鉄城」と間違えて答えてしまったのだ。ほほえましい話だが、テレビの威力を思い知らされるエピソードである。」

 テレビの威力も凄かったが、当時のシチズンの存在感も凄かった。1997年春から、半年間という依頼で引き受けた私のコラムは予想以上に読者の好評を得て、何とそれから12年間も続いた。その間、中国は凄まじい発展で大きく変わり、西鉄城もヨーロッパから怒涛のように中国に打ち寄せてきた高級時計のブランドの波に埋まり、その存在もあまり目立たなくなった。今の中国の子どもに西鉄城という言葉を知っているのかと確かめても、おそらくほとんどの子どもは頭を横に振るだろうと思う。