2011年のドラゴンズは打線が低調だった。特に左右の主軸である森野将彦と和田一浩の調子がいっこうに上がらなかったことには、ファンの皆さんもやきもきしたと思う。彼らを間近で見ている立場から言えば、和田が不振に喘ぐかもしれないという想定はしていた。2010年はセ・リーグの最優秀選手に選ばれたものの、よりシンプルな打ち方を身につけようと新たな取り組みをしていたからだ。

  和田のように実績を残している選手が、さらに高度な技術を習得しようとした場合、そのプロセスにおいて以前のような成績を残せなくなるリスクはある。それでも新たな段階に進もうとするか、現状のままでやっていこうとするか。それは和田自身が判断することであり、私も口を挟むことはできない。和田本人が決断した以上、それをサポートするために我慢も必要だと腹を括っていた。

  やや予想外だったのは森野のほうだ。前後の打者の不振によって「自分が打たなければ」と気負いすぎたか。2011年から「飛ばない」と言われているボールを使用することになったが、それを気にし過ぎて形を崩したか。どちらも遠因にはなったのかもしれないが、私が感じた中で一番の原因は“数字と闘った”ことだと思う。