17世紀オランダでは、
チューリップへの投資が過熱!

 そして17世紀オランダでは、絵画を商品化したオランダ人らしい出来事が起こります。「チューリップ・バブル」です。彼らは絵画だけではなく、チューリップの球根も投機対象にしていきました。

 虚構に対する戒めが強いプロテスタント社会のオランダでは、富裕層もファッションで富を誇示することをよしとしない習わしがあり、節制をよしとするオランダ人は食生活も質素でした。そんな彼らがファッションと美食の代わりに贅沢品として夢中になったのが、邸宅とそこを美しく飾る絵画であり、痩せたオランダの土壌でも栽培可能なチューリップだったのです。

 郊外に建てられた豪華な別荘の庭園の花壇も、チューリップ・ブームに拍車をかけました。経済がヨーロッパで最も発展したオランダでは、都市貴族や財を成した商人階級の間でチューリップの花は贅沢品となり、愛好家が一気に増えたのです。

 そうなると、人間は珍しい貴重な品種を求めるようになります。こうして、裕福なチューリップ愛好家の間では、最高品種や珍品種の球根の金額が高騰し、球根の栽培農場で財を成す人たちも生まれてきました。そして、チューリップの球根が投機対象となっていったのです。

 やがて、そのような社会の気運は職人階級にも広がります。バブル期の日本で、それまで株式投資に縁のなかった人たちまでもが踊らされたように、富裕層以外も球根取引に手を出すようになるのです。こうしてオランダ中の都市でチューリップの取引が盛んとなり、成長の予測が難しいにもかかわらず、球根の先物取引が生まれるほどになります。

 しかし、1637年2月、ついにチューリップ・バブルは崩壊します。球根の価格は大暴落。投機にたずさわっていた人たちは、破産などの状態に陥ったのです。もちろん、こうした経済的な大打撃を受けたのは、都市貴族などの富裕層ではありません。損をこうむるのは、いつの時代も一攫千金を狙って手を出した人たちなのでした。

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