いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで本書の著者・木村泰司氏に、知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は、日本でも有名な絵画「落穂拾い」の裏側に迫る。
実はとても革新的だった「落穂拾い」
今回は、教科書などにも載っている、日本でも有名な「落穂拾い」について解説していきます。「落穂拾い」は、ノルマンディーの農家に生まれたジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた作品です。この作品が象徴するように、彼は純粋な風景画よりも、大地と共に力強く生きる農民の姿を描きました。
その生い立ちから、過酷な労働に耐えて暮らす農民の姿をじかに知っているミレーは、都市のブルジョワジーが望むような牧歌的で理想化された農民の姿ではなく、貧しくも敬虔(けいけん)な農民の姿を写実的でありながら崇高に描きあげたのです。
しかし、こうした農民の姿を描いたミレーの作品を嫌悪する人もいました。19世紀中頃のフランスは、パリと地方、都会と田舎、そしてブルジョワジーと労働者・農民階級との格差に対する認識が高まっていた時代でした。したがって、当時のフランスには貧しい農民など本来なら高貴であるべき絵画の主題にするべきではないという考え方があり、畑を描くなどは絵画の威厳を侵害する下品なことと考える価値観が浸透していたのです。
また、ミレー自身は政治的なメッセージは込めていなかったにもかかわらず、絵画を「読む」伝統の強い保守的なフランス人の中には、社会主義思想や革新的な共和主義が主張されていると誤解し嫌悪する人もいたのでした。