自分らしい「問い」を持つ

 メモを取る習慣のない人に「メモを取るように」というと、ことさらに構えて仕事や実生活にとって意味のある内容を書きとめなければ、と考えてしまうかもしれません。

 でもそんなに構えることはありません。書きとめる内容は特にビジネスに関連するものに限りません。

 たとえば、いま私の手元にあるモレスキンを開いてみると「イギリスはどうして良質なファンタジーを次々に生み出すのだろうか?」と殴り書きがしてあります。

 これはロンドンオリンピックの開会式で「メアリー・ポピンズが子どもたちを助けにやってくる」という場面を見ていて、ふと「そういえばピーター・パンも不思議の国のアリスも指輪物語もイギリスだし、最近でいえばハリー・ポッターもそうだな。こうやって並べてみると、大人の鑑賞にも堪えうるような良質なファンタジーはイギリス発のものばっかりだな。どうしてイギリスは継続的に良質なファンタジーを生み出すのだろう?」と思って書きとめたものです。

 まったくビジネスに関係ありませんね。でもそれで構いません。ストックする「問い」はなんでもありなのです。

 なぜかというと、すべての「問い」は、どこかでビジネスや人生における学びや気づきにつながることになるからです。

 ビジネスには人間や世界のあらゆる側面が関係してきます。だから、どんな問いであっても、人間や世界をより深く理解するきっかけになるのであれば、それはどこかでビジネスへの示唆につながってきます。

 その「問い」がシャープであればあるほどに、答えはなかなか見つからないものです。しかし、長い期間にわたって、そういった「問い」に向き合い続けていれば、やがてその「問い」に対する、答えやヒントに気づく瞬間に出会うはずです。

 ちなみに「イギリスはなぜ良質なファンタジーを生み出し続けるのだろうか?」という問いに対する答えとして、私が仮説として考えたのは「あまりにも現実的であるがゆえの反作用なのではないか?」ということです。

 これはあくまで仮説ですが、しかしこの仮説はやがて、組織開発のコンサルティングにおける私の基本認識である「なにか極端な傾向を持つ組織体は、逆の極端な傾向も背後に隠し持っていることが多い」という気づきにつながり、この気づきが多くのプロジェクトにおいて有効な示唆や洞察の源となりました。

 ここで私の思考のプロセスを整理すれば、次のようになります。

【インプット】ロンドンオリンピックの開会式のメアリー・ポピンズのシーン
【抽象化1】英国は良質なファンタジーを継続的に生み出す国
【抽象化2】ファンタジーによってリアリティーとのバランスが成立している
【抽象化3】何か極端なものがある場合、背後には真逆の極端なものがある
【構造化1】たとえば中国における孔子的思想と、その真逆の韓非子的思想の両立

 このように、元々はビジネスとはまったく関係のない気づきや疑問が、やがては組織や人間を理解するきっかけとなる仮説や着眼点につながることはよくあることです。

「問い」を持つことで人間や世界に対する理解や関心が深まるとき、それは間違いなくビジネスに関連する「ものの見方」についても新しい刺激を与えてくれるはずです。

君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。
――吉野源三郎『君たちはどう生きるか』