画家の内面を表現した
「表現主義」の誕生

 しかし、大都会パリでの生活に心身共に疲れを感じるようになったゴッホ。私生活では恋の破局もあり、彼は安価で強いアルコールであるアブサンに溺れるようになります。また、協調性の無い勝手気ままな兄との狭いアパルトマンでの暮らしに対し、弟のテオも精神的に限界が来てしまっていたようです。

 そして、南仏アルルにこそ自分が浮世絵から想像する日本のような光がある土地だと信じたゴッホは、1888年2月に突然パリを去り、一路アルルを目指します。気分が高揚している時はいつも前向きだったゴッホは、すぐにアルルの街並みや風景に魅せられます。アルルという街が、色彩的に「浮世絵で見る日本の国のようだ」と思い込んでいました。

「ゴッホ展」にはもう行った? 3分で振り返るゴッホの生涯ゴッホがアルルで描いた「花咲くアーモンドの木」(1888年)

 アルルでの日々が過ぎ行く中、描く対象にまつわる自分の感情をどうしても抑えることができないことに気付いたゴッホは、描く対象を写実的にではなく、その対象にまつわる自分の感情を表すことを決意します。自分の感情を、寓意的でも象徴的でもなく、独学の画家らしく粗野ながらも力強く、そして思うままに表現しようと決意したのでした。こうして、印象を表わした印象主義ではなく、内面的な感情を表現した表現主義が生まれたのです。

 その結果、ゴッホは自分の感情を、自由で強烈な色彩や単純化されたフォルムによって自由奔放に表現し始めます。こうしてゴッホは、絵画を外から受ける「印象」を描くものから、自分の内面を「表現」するものにし、印象主義を乗り越え、そして印象主義を新たな方向へ導くことになったのでした。

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