もちろん、一般社会は角界ほど礼儀やしきたりが厳しくないので、そうした行動が暴行などの事件に発展することはありませんが、実はスマホ・SNS中毒は社会全体に蔓延していて、その明示的な実害が今回の暴行事件、そしてその責任を取った横綱引退という形で現れたと考えることもできるのではないでしょうか。

人間が物事に集中できるように
なったのは印刷技術の発明以降

 それでは、このスマホ・SNS中毒に社会はどう対処すればいいのでしょうか。

 人によっては、若い世代が会議や会話の最中もスマホやSNSをいじり続けるのは時代が変わったからであり、それが新しい常識になってしまったのでもう止むを得ない、といった趣旨の発言をしていますが、それは明らかに間違っていると思います。

 というのは、そもそも歴史的に考えると、人間が1つの物事に集中できるようになったのは、15世紀半ばにグーテンベルクが印刷技術を発明してからです。それまでは原始時代からずっと注意散漫だったのが、本という単一の静止した対象に向かって切れ目なく注意を持続させられるという不自然な行為を繰り返すうちに、人間は集中して考えたり行動したりすることができるようになったのです。

 つまり、人間が目の前の人との会話などに集中できるようになったのは、人類の長い歴史の中で最近の600年というすごく短い時間に過ぎないのです。それが、スマホやSNSによって、またグーテンベルク以前の注意散漫な状態に戻りつつあるとも考えることができます。

 そして、それが不可逆な変化なのか、時代が変わった中での新たな常識なのかは、まだ判断できないはずです。スマホやSNSが普及してからまだわずか10年しか経っていないからです。

 たとえば、グーテンベルクが印刷技術を発明して50年くらい経つと、クオリティの低い本が粗製乱造されて世の中に出回り、本当に大事な本が読まれなくなりました。当時の哲学者エラスムスも「印刷機のせいで世の中に下らない本、有害な本ばかりが出回り、本当に良い本の素晴らしさが認識されなくなった」と嘆いていたくらいです。

 しかし、結果的には粗製乱造されたくだらない本が当時の“不可逆な変化”や“新たな常識”にはなりませんでした。当時の人たちが知恵を絞って、本を読みながら重要な部分のメモを取ること(ノート・テイク)が教育の中で推奨される、様々な名著の重要な部分を引用してまとめた参照本(レファランス・ブック)が出版されるなど、くだらない本の氾濫に対処する新しいツールが生み出されたからです。