状況把握の難しさ

 一人の意思決定者が複雑系全体を把握するのは、不可能ではないにしても、大変難しい。「見晴らしの利く場所はどこか」、これがこの問題の本質である。つまり、きわめて多様な関係を1つの場所から観察・理解するのは一筋縄ではいかない。

 2008年、シティグループが破綻しかけたのは、社員たちをサイロに閉じ込めてしまう縦割り組織のせいであるといわれてきた。何しろ、会社がサブプライム・ローンに関わればどうなるのかを理解している社員が、戦略上の意思決定を下す社員と接することはなかった。

 当時の会長兼CEOチャック・プリンスは、過度なレバレッジ(自己資本に対する負債の倍率)の危険性を警告するサインをあえて無視したが、言うまでもなく状況を悪化させた。

 2007年、彼が『フィナンシャル・タイムズ』紙に語ったセリフはいまなお有名である。「音楽がかかっている限り、踊らなければなりません」。そして、こうつけ加えた。「我々はまだ踊っています」

 さらに、他人の行動や自分自身の行動の影響を理解するにも、我々には認知限界というものがある。しかし大半のビジネス・リーダーが、研究が示す以上の情報を入手し理解できると考えている。その結果、拙速に行動を起こし、システムに及ぶであろう影響を十分理解しないまま、重要な意思決定を下しがちである。

 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の元会長兼CEOダーク・イェーガーは、聖域なき組織改編を断行し、インフォーマルな人間関係を滅茶苦茶にしたと非難された。実際、彼は社内の重要な相互依存性を理解できなかった。イェーガーがCEOを務めたのは、わずか1年と5カ月である。

 後任のアラン・G・ラフリーは、組織図にはほとんど手をつけず、インセンティブ制度の見直し、インフォーマルな人間関係の再構築に力を注いだ。彼がCEOに就任した2000年6月時点におけるP&Gの時価総額は698億ドルだったが、2007年にはそれが2319億ドルになった。

 また、何か1つに集中すると、それ以外が見えなくなってしまうこともわかっている。最近の研究では、「非注意性盲目」(inattentional blindness:不注意による見落とし)が実証された。あるタスクに集中するように指示を受けた被験者は、近くでびっくりするような出来事が起こったのに気づきもしなかった。

 複雑系を理解しようという場合、めったに起こらない珍事はとりわけ問題とある。なぜなら、繰り返し起こる頻度が少ないため、システムにどのような影響が及ぶのかを学習できないからである。

 航空管制が基本的に管理可能なシステムであるのは、変化にたえず適応するからであると述べた。その適応力は、ひとえにシステムの設計者(理解者)がパターンの経時変化を観察し、嫌というほど徹底した事後検証を通じて失敗の根本原因を明らかにした賜物にほかならない。

 2010年、アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山の噴火で、航空史上例のない規模と性質の塵雲が生じたように、稀にしか起こらない珍事に遭遇すると、システムはそれに対応できず、中断を余儀なくされる。これには大きな代償が伴う。ニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナ、東日本大震災と津波の後にも、同様のシステム・ダウンが起こった。

 以上のような問題が意味しているのは、複雑系は少なくとも3つの管理分野に問題を投げかけていることである。すなわち、「未来の予測」「リスクの軽減」「トレードオフの模索」である。それぞれの対策を見ていこう。