疑い出したらきりがない。
そのストレスから解放される仕組みとは
医療の世界に限らず、あらゆることを公開するという考えが現代社会の潮流です。
昔は、スーパーに行けば「ここに置いてあるものは信頼できるから」と値段だけを見て買う人が多かったと思います。しかし、産地偽装や消費期限偽装、BSEの問題などによって、消費者は疑うようになってしまいました。
疑ったところで真偽のほどを確かめる手段はあまりありません。店の人に問い質しても、実はウソですと答えるはずがありません。詳細な情報が表示されても信頼できず、ただストレスだけが溜まっていきます。
テレビ局の方からお聞きしたことがあります。自然食のレストランを取り上げようとした場合、ホームページに「無農薬野菜だけを使っています」と書かれていたレストランについて、本当に無農薬野菜なのかどうかは調べようがないと言うのです。
スーパーで買ってきた野菜を無農薬だと偽っていることも考えられるし、レストランとしては無農薬だと信じて仕入れた野菜が、実は無農薬ではなかったということも考えられるのです。
しかし取材者としては、そこは信頼するしかないといいます。莫大な時間と労力と費用をかけて突き詰めて裏を取ろうとしても、現実には難しいからです。
かつての社会は、信頼関係で成り立っていました。疑い出したらきりがないというストレスから解放されていた社会です。それが今、揺らいでいます。内部告発が推奨され、インターネットの進化でどんな些細なことでもすぐにわかってしまう世の中です。
騙されにくくなったのは良いことですが、一方で人が素朴に信頼し合うことができなくなっている感は否めません。
情報を入手しすぎて処理し切れないストレスから脱却解放する意味でも、もう少し専門家を素朴に信頼して任せてみてはいかがでしょうか。あるいは、情報の大枠は聞くけれども細かいところは任せるという考え方でもいいかもしれません。