表面的な公正さを求めることがデメリットになることもある

 同じことが医療の世界でも当てはまります。

「正しい情報を本人に知らせ、医者と患者が共同作業で病気に立ち向かう」

 現代の医療では、これが基本的な姿勢になっています。そして患者さんへのカルテの開示の流れが進んでいます。患者さんが自分の病状をよりよく知ることで、医者と認識を共有できることから、治療効果があがることも期待できます。

 ただ、カルテを開示することが、最終的に必ずしも患者さん本人のメリットにならない場合もあります。

 カルテには見たい情報だけが書かれているわけではありません。他の医者が診療したときの役に立つように、患者さんの性格の特徴などを記すこともあります。また患者さん家族の人間関係なども記入しておくことによって、他の医者が見た場合でも適切なコミュニケーションができるようにすることがあります。カルテには、医者同士が情報を共有するために記録するという側面もあるからです。

 公開を前提とする情報を記録する場合、記載する情報を選んでしまう医者が出てきてもおかしくありません。患者に公開するカルテと医者だけが見るカルテが二重帳簿のように存在してしまう可能性も否定できないのです。こうなると医者の負担が増えるし、患者さんが求めている情報開示とは違ってくるでしょう。

 外科の手術をするときに、最近は映像を記録することが多くなりました。最近、それを渡してほしいと要求する患者さんが増えています。

 手術が長時間に及ぶ場合、外科医は手術室の雰囲気をリラックスさせるため、雑談を交わすことがあります。

「これが終わったら、ご飯食べに行こう」

 こうした会話があるからと言って、何も手術に集中していないわけではありません。患者の命を預かる医者やスタッフに広がる緊張感を解くためのひとつの手段です。しかし映像を見た患者さんや家族から見れば、こういう会話が真面目に手術を行っているとは思えないように映ってしまうのです。

 手術中に一切無駄口を叩けなくなったと嘆く医者は少なくありません。これまでなら解消できた緊張が高まり、ストレスがたまり、その結果無用なミスが出ることを心配しています。

 もちろん、医療者側のミスや不祥事が多発しているので、患者さんが医者を信用できないという気持ちもわかります。

 ただ、医者が無駄口ひとつ叩かずにストレスを抱えて手術していることが、患者さんにとっての真のメリットには必ずしもつながりません。情報公開で、見た目の公正さを求めるあまり、結果的には患者さんが損をしてしまうこともあるのです。