総選挙で惨敗した後の特別国会では、野党が「政策別」に分かれたこともあり、立憲民主党も希望の党も主張がスッキリしていた。希望の党の玉木雄一郎代表は、安倍政権への「提言」にこだわり、立憲民主党の枝野幸男代表は、安倍政権の姿勢が「立憲主義に反している」と厳しく批判した。この連載では、これを政策別野党再編による政策論争の萌芽と評価した(第171回)。

 しかし、残念なことに、世の多くの人は野党を評価しなかったようだ。分裂した野党がバラバラに質問したため、安倍晋三政権を追い詰めることができなかったと批判されたのだ。特別国会閉会後、玉木代表は「野党が分かれてバラバラだというところは、足元を見られて与党に差し込まれた。野党が力を合わせないと与党の思うつぼになる」と自虐的に語った。

 その後、希望の党、立憲民主党、民進党の3つに分裂した野党が再び合流するべきだという意見が広がり、希望の党と民進党が衆参両院で統一会派を結成することで、一旦は正式な合意文書を交わし、直後に破談するという迷走劇を演じたのはご存じの通りだ(第174回)。

 結局、政策の不一致は脇に置いての「野党再結集」は実現せず、希望の党内では、さらなる「分党騒ぎ」が起こっている。保守色の強い結党メンバーと、民主党から移ってきたメンバーの政策志向が合わないのだという。総選挙以来の一連の騒動には閉口するものの、「基本政策の一致しない者同士は一緒にはやれない」ということが野党陣営に定着しつつある。これは、長い目で見れば悪いことではない。

 しかし、今行われている国会では、政策で安倍政権を攻められない野党は、ひたすら首相の「人格攻撃」を続けるしかなくなっている。「もり・かけ・スパ」の追及を延々と続けて、安倍首相は「驕り」「傲慢」で、「謙虚さのかけらもない」というイメージを、国民に植え付けようと必死なのだ。

指導者は選挙のために
「謙虚」であるべきなのか

 ここで本題に戻りたい。安倍首相が「謙虚」か「傲慢」かが、延々と争点となっているが、そもそも、なぜ指導者は「謙虚」でなければならないのかということだ。普通は、「謙虚でないと、有権者の怒りを買って、選挙に負けるから」だと言われている。

 実際、安倍首相も野党も、そう信じ切っているように思える。東京都議会議員選挙で大敗した後、急に「謙虚な姿勢」を強調し始め、総選挙に大勝したら謙虚な姿勢などすっかり忘れて、元の「傲慢」な国会運営に戻った首相はわかりやすすぎる。野党も、なんとか首相の支持率を落として次の選挙の活路を開きたいだけで、そこには国民の生活のためにより良き政策を追究しようという姿勢は微塵も見えない。