大記録のプレッシャーさえも探究心のほうが上回ってしまう。これが白鵬という横綱の特長である。たとえば本書の中で、自宅マンションで白鵬がついに「秘中の秘」の極意を著者に明かすくだりが出てくる。ここでは「呼吸にまつわること」とだけ言っておくが、白鵬がなぜ自分よりも体重のある力士を弾き飛ばせるのか、その秘密を初めて明かしたのだ。口だけでなく、白鵬は手取り足取り教えようとするが、本人にしかわからない感覚を教えようとするため、いきおい「クワッと割る」とか「バッといく」など擬音が多くなる。著者は混乱した頭で必死についていこうとする。取材する者とされる者との白熱したやり取りは圧巻だ。

白鵬はなぜこんなにも
批判にさらされるのか

 だがこれほどまでに相撲のことわりを追究する凄い横綱でありながら、白鵬はなぜこんなにも批判にさらされるのだろうか。

 たとえば相撲界で高い地位にある人物が、白鵬のかち上げと張り手の多用をやり玉にあげ、「美しくない、見たくない」と苦言を呈する。それを受けて、白鵬が肘にまいたサポーターに何か仕込んでいるのではないかという憶測が飛び交う。

 それらの疑問の答えも本書にあるのでぜひ読んでほしい。そういったメディアが好んで報じがちな点は本質的な問題ではないことがわかるだろう。少しだけ書いておくと、かち上げや張り手は白鵬が追究する速攻相撲のパターンのひとつに過ぎないし、それで負けるほうが不甲斐ない。サポーターにも理由がある。中身をあらためさせろと言われればおそらく白鵬はあっさり見せるのではないか。

 だがもちろん白鵬にも責められるべき点は多い。格下相手に猫だましを2回も繰り出したことがあるし、昨年の九州場所で立ち合い不成立を主張して見苦しい抗議を続けたことも記憶に新しい。また強さの衰えも隠せない。若手の台頭とともに初顔合わせが多くなり、金星を与えてしまう場面も目立つようになった。このところ白鵬のマイナス面が目につくようになったのは事実である。

 だが、それもこれも、すべてひっくるめて「白鵬」なのだ。我々は白鵬のことを何も知らない。いや白鵬だけではない。横綱という頂点に立った者だけが目にしている光景、頂にひとり立つ者だけが感じる孤独を何も知らない。

 横綱とは、「品格」と「強さ」という相容れない要素を両立させることを求められる存在である。我々が白鵬に感じる矛盾は結局、横綱という存在自体が宿命的に背負った矛盾でもあるのだ。横綱としての器量が大きければ大きいほどその中にある矛盾も大きくみえるのだとすれば、白鵬の圧倒的な強さと、時に目を覆いたくなるようなふるまいとの間の距離は、そのまま白鵬という横綱の器の大きさを示しているとはいえないだろうか。本書はそのとてつもない大きさに触れることができる一冊だ。

白鵬、自分の手の内を惜しげもなく明かせる横綱の凄さ

(HONZ  首藤淳哉)