“排泄”が滞ると、
ごきげんに生きられない

私たちは生まれてから成長していく過程で、「出す」ことに制限を余儀なくされてきています。

「便秘になるのは、人間とペットだけ」と聞いたことがありますが、野生動物と違い、人間とペットだけが、好きな時に好きな場所で自由に排泄できない生活を送っている。

生理的な欲求を我慢せざるを得ない状況に何度となく直面し、もはやそれを無意識に受け入れている状態なのです。

ゴミも同様です。

私たちは、好きな時に好きな場所にゴミを捨てるわけにはいきません。

収集日や分別のルールを守らなければいけませんし、不要なモノを捨てると決めることにもブレーキが働きます。

ですから、あえて過激な言い方をすると、「私たちは、押入れを、クローゼットを、天井裏を、床下をゴミ置場にしている」というのが実態なのです。

つまり、住まいの“排泄”が滞っているから、住む人に元気が出ない、やる気が出ない。

その結果として、萎えていくのです。

これでは、「ごきげんに生きる」ことはできませんし、ただの“片づかない”どころの話ではありません。

「出す」ということは、モノだけでなく感情においても大切なこと。

モノとココロ、一見違うようでいて本質は同じです。

それを実感された方の話をご紹介します。