「日本人は顔が見えない」と多くの外国人が言います。政治家や企業トップも含め日本人は、顔(感情・心境・意見・主張)をはっきり表に出さない「静かで分かりにくい人達」と彼らの目に映るからです。一方、グローバル社会に生きる私たちは、このまま顔を隠し続けていると国際社会からどんどん孤立してゆきます。3.11から1年を経ようとする今、「世界に顔を示す」ことを真剣に考え、私たち一人ひとりが自分の思いの丈を、自信をもって世界へ発信すべきではないでしょうか。
理解に苦しむ
ニッポンの「お控え文化」
個人の顔(感情・心境・意見・主張)を出さない、出したとしても直接的な表現を避けるという多くの日本人に見られる行動の背景には、日本の「お控え文化」(慎み・遠慮・自制・謙虚・寡黙等)があります。海外経験が豊かな方には釈迦に説法ですが、日本では美徳とされることの多いこのお控え文化も、日本を一歩出るとなかなか理解してもらえず、かえって仇となることが多くなります。
特に、自己の発信を是とする個人主義社会の欧米、また欧米に限らず、海外相手の仕事(外交交渉、ビジネス交渉、プレゼンテーション、講演スピーチ、海外拠点マネジメント、海外提携企業との共同作業等)では、自分の顔を出さない人は、周りからネガティブに見られます。「彼(彼女)は、何を考えているかわからない、取っ付きにくい、親近感が湧かない、何か裏がありそう、存在感を示せない人、リーダーシップを取れない人、人付き合いが下手な人、知性レベルが低い人」などです。
また、こうした地域では、日本にあるような「人の気持ちを察する」文化は薄く、こちらが黙って遠慮していると、単に「こいつは、言いたいことがない、同意している」と理解され、無視されるか置いてけぼりを食らうのが落ちです(逆に、相手の考えや心境がわかりづらい時に、相手の気持ちを察するのは、骨折り損のくたびれ儲け)。
このように、外国人がよく口にする「日本人は顔が見えない」という言葉の背後には、「思慮深い」などポジティブな解釈も時にはありますが、多くの場合は、上述したようなネガティブなものになります。