〈YouTube〉に壮大なビジョンはなかった
テクノロジーのスタートアップにも同じことが言える。
僕たちにもお馴染みの例を挙げよう。
〈ユーチューブ〉の始まりは、壮大なビジョンがきっかけではなかった。
世界中の動画とクリエイターと視聴者をつなぐためのグローバルなプラットフォームを目指していたわけではない。
始まりは全く違うものだった。
最初は、出会い系サイトの〈ホット・オア・ノット〉をパクって動画を加えた〈チューン・イン・フックアップ〉というサービスだった。
でも、そこに人が集まらなかったので、創業者たちは他のアイデアを考え始めた。
ひらめきが生まれたのは、2つのちょっとした不満からだった。
1つ目は、創業者のジョード・カリムがジャネット・ジャクソンの「おっぱいポロリ」動画をオンラインで見つけられず、イライラしていたこと。
2つ目は、共同創業者のチャド・ハーリーとスティーブ・チェンが、ディナーパーティーの動画をメールで送ろうとして、容量不足で送れなかったことだ。
そこで、動画共有の簡単なしくみを作ったところ、反響がすごかった。
あっという間にいくつかの動画が拡散され、ユーチューブの情報量は爆発的に伸び、動画コンテンツはすべてここに集まるようになった。
ユーチューブが世界最大のオンライン動画サイトになったのは、壮大なビジョンがあったからでも、計画があったからでもない。
小さなイノベーションが強烈な効果をもたらした結果だ。
もし最初からグローバルな放送局を目指していたら、ユーチューブは生まれていなかった。
例えば、かつて〈デジタル・エンタテインメント・ネットワーク〉というスタートアップがあった。
ドットコムバブルの時期にテレビ番組をインターネットで流そうとしていた。
壮大なビジョンはあったが失敗だった。
コンテンツにカネがかかりすぎ、広告も取れなかった。