2001年に開始された量的緩和政策が停止されたのは、2003年頃から輸出主導型経済成長が実現したためだ。これは円安によってもたらされた。そして、円安は、政府・日銀による為替介入をきっかけとして生じた。
以下では、この過程をやや詳細に見よう。これは、単に歴史的事実を検証するというだけのためではない。現時点で似た金融緩和が行なわれようとしており、その評価のために重要な意味をもっているからだ。
「不胎化」介入と「非不胎化」介入
為替介入は、ドルなどの外貨建て資産を政府あるいは日本銀行が購入することによって行なわれる。大部分は、政府(外国為替資金特別会計)による購入である。
同会計は、政府短期証券を発行して資金を調達し、米国債などの外貨建て資産を購入する。
ここで、「不胎化」と「非不胎化」について述べよう。介入に伴ってベースマネーが増えるのを放置したままにすることを、「非不胎化」と呼ぶ。それを中立化するための操作を「不胎化」と呼ぶ。
1999年3月までは、政府短期証券の全額をいったん日銀が引き受ける方式を採用していた。この方式だと、介入額だけベースマネーが増える。つまり、非不胎化になる。金融市場に与える影響を中立化するには、日銀が市中に国債を売却して資金を吸収する不胎化操作が必要になる。
しかし、2000年4月からは、政府短期証券を市中で入札によって発行し、市中で捌ききれなかった短期証券を日銀が引き受ける方式に変更された。この方式だと、為替介入は、ベースマネーに影響を与えない形で行なわれるようになったように見える。
しかし、以下で見るように、実際には必ずしもそうではなかった。なぜなら、第1に、日銀も短期証券の保有を増やした。第2に、銀行が保有する長期国債を日銀が購入することによって、日銀が市中に資金を供給した。したがって、日銀の資産が増大し、負債側で当座預金が増える。こうしてベースマネーが増えたのである。
以下に見るように、2003、04年の介入によって、ベースマネーは増大した。つまり非不胎化介入(金融緩和を伴う介入)の部分もあった。このため、04年3月2日に、FRB(米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長(当時)が、「円安介入は欧米企業の競争力を弱めている」と批判したのである。日本政府・日銀は、この批判を受けて兆円単位の介入を3月5日を最後に停止し、3月16日ですべての為替介入を停止した。