日本の情報公開法は行政機関の裁量権が
広い半面、情報公開圧力を強く受ける

 日本では、「行政機関情報公開法」が1999年に成立し、2001年から施行されている。国や地方自治体の行政機関全般と独立行政法人等、防衛研究所図書館、外務省外交史料館などが保有する文書について、国民の知る権利に基づき原則、公開することを定めた法律である。

 情報公開法の制定は、政治腐敗や汚職、公害問題などに対する追及が、情報の非公開という壁に阻まれていた1970年代に、その機運が盛り上がった。情報公開法制定を目的とした市民団体が発足し、少しずつ地方自治体において情報公開制度の制定が進み、1999年に国会で成立した。

 情報公開法が成立した当時は、日本では自民党一党の長期政権時代が終結し、自民党は都市部を支持基盤とする公明党と連立を組む、「自公政権」が誕生していた。また、リベラルな民主党が台頭した時代でもあった。行政情報公開法は、それらの政党が、都市部のリベラルな「市民団体」の強い要求を受けて動くことで、実現したともいえる。

 情報公開法では、請求されたことは原則公開することになっているが、個人情報に該当する情報、外交や防衛など国の安全に関する情報、国民に誤解と混乱をもたらす恐れのある情報、国民のプライバシーを侵害するような事項、捜査に関する情報などは公開できないこと、外交、防衛、警察、治安などは例外的に行政機関の判断で非開示にできる。

 このように、非開示の判断について、行政機関の裁量が広く認められている点が批判されている。一方、開示した内容に不服がある場合は行政訴訟を起こすことができるし、日本人だけではなく外国人も請求できる。情報公開への圧力が非常に強いものになっている側面もある。

 この制度的な矛盾によって、行政機関は、市民団体からの膨大な情報公開請求を前にして、右往左往してきた。そして、「森友学園」や「南スーダンPKO」の問題発覚は、「隠ぺい」「破棄」「改ざん」が横行する、日本の中央官庁の「前近代的」な公文書管理を白日に晒したのだ。