3月11日午後2時46分、黙祷を捧げる(2012年、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

東日本大震災の死者・行方不明者の数が3280人にものぼった石巻市には、いまだに解体されない家屋が立ち並ぶ海辺の集落がある。盛り土でできた道が、水没したままの集落を突き抜ける。重機が入れず、インフラも敷かれず、朽ちていくのを待つだけのような町。

「これが、震災から1年の光景?」

ファインダーを覗きながら、思わず口にしていた。堤防の側には、捜索活動を続ける警察車両が見える。市中心部も大きく被災した石巻市だが、同じ市内でも時間の進み方の差があまりにも大きいと感じた。遠隔地は支援の手がなかなか入らない証拠だ。

石巻市は、7年前に1市6町が合併し、広域化した。地域を支える自治体そのものが被災した同市で、大震災は、市町村合併に伴う様々な課題を浮かび上がらせた。市民や自治体職員の話から、この1年を振り返った。
(フォトジャーナリスト 加藤順子)

市の大きさは東京23区の3分の2に
職員400人減少で起きた“リーダー不在”

<避難所で>

「市町村合併した自治体では、全市で被災することもあるんだということを学んでほしい」

当時、湊小学校で避難所対策本部長をつとめていた庄司慈明氏。石巻市の市議会議員でもある(2011年7月、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

 街中にヘドロの腐敗した臭いが漂い、肥大化したハエが飛び交っていた7月。避難所となっていた石巻市湊小学校で、避難所対策本部長をつとめていた庄司慈明氏はそう語っていた。庄司氏は市内で税理士事務所開業し、市議会議員もつとめる地域のリーダー的な存在だ。

 自治体ごと被災してしまった市が、職員不足などにより機能不全に陥り、避難所運営もその影響を受けていた。その原因は市町村合併にあると、庄司氏は訴えた。

 石巻市が広域化したのは、2005(平成17)年の春。1市6町が合併して、面積は556平方キロメートル、東京23区の3分の2ほどの広さになった。市町村合併の目的は、スケールメリットを生かした自治体の財政運営にある。庄司氏の言葉を借りれば、要するに自治体のリストラだ。当時2000人ほどだった市の職員は、400人ほど減っておよそ1600人になっていた。