育ちの良さを「箸より重いものを持ったことがない」と表現をすることがあるが、実際にはそんな人はいない。本当に箸で食べ物をはさめば箸より重くなる。ならば箸は何のためにあるのか。
これは極端な話であるが、実際美人は箸より重いものを持つことが苦手なのではないかと思うことがある。
美人は箸を持つ時間が短い。
こまめに箸を置く。自分の前にきれいに置く。きれいにならんだ二本の棒が美しさを讃えるように。この瞬間に「美人のもと」が増えているように思う。
箸の作法は難しいと言われる。「まよい箸」、「うつり箸」など忌み箸と呼ばれる箸の禁じ手の全てを封じている人は意外と少ない。ただ意識があるかどうかは大事にしたい。要は見ていてきれいであるかだ。なんとなく「流れ」に違和感がある使い方は禁じ手だ。その違和感の代表が箸を「必要以上に持っている」ことだと思う。
こまめに置いて必要な時にきれいに手に取る。こういう流れは違和感が少ないため、目立たないのだ。いつ持っていつ置いたかを他人に感じさせないのだ。そのおかげで「箸を持つ時間」が少なく感じられる。
ずっと箸を持っている人がいる。食べていないときもずっと持つ。食べ続けているわけでもないが、持ち続ける。
時々箸を置けば二本がバラバラであったり、向きがでたらめであったり、置く場所が一定でないので探したりする。気づけば、皆で食べるときに使う取り箸も自分のものにする。
なかなか箸を置かないので、話すときも持ち続ける。「そう、そう、そう」と相槌を箸で打つ。指揮者のように。ジャン、ジャカ、ジャン。
指揮者だらけのテーブルを見かけることがある。全員が指揮をしていて、誰も演奏していない。「美人のもと」が減っていることに気づく。
座ったら箸置きをしっかり見る。あまり注目されないが、箸置きはいろんな形や表情があって面白い。そうするだけで置くことが楽しくなる。箸置きがないところでも箸袋で簡単に箸置きをつくればいい。箸袋もない場、それはダラダラ食べる場ではないという意味なので、早めに席を立つ。
箸の置き場を意識する。それだけで「美人のもと」が増えていくきっかけになる。