だが、息子は涙を浮かべた目で私を見つめるだけだった。次に、話の「論理」による説得で、言いきかせようとした。

私:長ズボンをはいていけば、足が寒さでひび割れることもないだろう。そのほうがずっと気持ちがいいと思うよ。
ジョージ:でも、僕は半ズボンがいいんだ。

そこで、息子の「感情」に訴える手に出ることにした。「レトリックのなかで、特に説得につながりやすいのはユーモアである」と言ったキケロにならい、私はズボンの裾をまくり上げて踊りまわった。

私:ラッタッタ、ほら見てごらん、父さんは半ズボンで仕事に行くぞ……まぬけに見えないかい?
ジョージ:見えるよ(半ズボンははいたまま)。
私:だったら、なぜお前は、どうしても半ズボンがいいなんて言うんだい?
ジョージ:僕はまぬけに見えないからだよ。それにこれは僕の足だもん。ひひ割れたって平気だよ。
私:ひび割れ、だよ。

私のほうが語彙力その他で勝っているのに、私の負けのようだ。それに、ジョージが泣かずに議論しようとしたのは、これが初めてだ。だから今回はジョージに勝たせてやることにした。

私:よし、わかった。母さんと父さんが学校の先生に言って何も問題がなければ、半ズボンをはいて行っていいことにしよう。だけど、外で遊ぶときは雪用のズボンをはくんだぞ、わかったか?
ジョージ:わかった。

息子は嬉しそうに雪用のズボンを持ってきて、一方の私は学校に電話をかけた。数週間後、校長先生がジョージの誕生日を「半ズボンの日」にする、と宣言した。なんと校長先生自身も、キュロットをはいて学校に来てくれたのだ。2月半ばのことである。はたして、これはいい考えと言えるだろうか?話し合ったうえで同意がなされたという観点からすると、私はいい考えだったと思う。

聞き手の脳、直感、心に訴えかける

私は人柄、論理、感情を使った最強の技術を使った。それなのになぜ、息子は私を言い負かすことができたのだろう?それは、彼も同じ技法を使ったからだ。私はそれを意識的に使い、息子は本能的に使った。

アリストテレスはこれを、「ロゴス」「エートス」「パトス」と呼んだので、この言葉を使うことにする。「ロゴス」とは、論理の力を使った技法である。「エートス」は、語り手の人柄を使った技法。説得者の人格、評判、信頼に値しそうに見えることなどを使う。

そして最後に「パトス」、感情に訴える技法だ。誰かを論理的に説得することはできても、実際に行動を起こさせるには、もっと感情に訴えるものがなければならない。