動き出した山の八白、
美術界に新風起こすイノベーター
岡本さんは、1930~1940年までフランスですごし、様々なものを吸収します。
当時さかんだった抽象美術運動もそうで、岡本さん独特の造形美の根源はここにあります。
世界的な芸術家たちが数多く参加していた抽象芸術の活動団体に所属し、会主催の展覧会で作品を発表したり解説を執筆しながら、創作制作を続けていたのです。
帰国後は徴兵され、終戦後しばらく俘虜生活を経て1946年に復員。
都内にアトリエを復活させて制作活動に入りました。
この1946年は岡本さんにとっては「陽3年・四緑の部屋」の年になります(このバイオリズムの詳細については本書にあります)。
風の四緑の縁つなぎ。
ここから岡本さんの戦後がスタートします。
1948年の「陽5年・陰1年(合期)」は「六白の部屋」の年。高い志をもって信念を貫きリーダーシップを発揮する37歳の岡本さんは、「夜の会」を結成し、前衛美術運動を始めることとなります。
同年、さらに「アヴァンギャルド芸術研究会」を結成して前衛運動を加速させていき、岡本さんはその考えを「対極主義」として提唱するようになります。
これらの運動は、旧態依然としていた日本美術界に新風をもたらすこととなります。
美術界や社会の権力・権威、自由と権利を阻害するものに対して徹底的に対峙していくこうした岡本さんの生きざまは、時として「反逆児」とも表現されることもありました。
これまでの古い価値観を破壊して新しい芸術を生み出していく岡本さんの姿はまさに「動き出した山の八白」「イノベーター(変革者)たる山の八白」です。