岡本太郎の信念とともに
原始のエネルギーを今に伝える
1970(昭和45)年、大阪府吹田市の千里丘陵でアジア初の国際博覧会が開催されました。
いわゆる「万博」です。
生年月日が昭和30年代以前の方は現地に行かれたか、テレビで開催風景をご覧になった年代かと思います。
この万博のメイン会場となっていたのが、現在の万博記念公園にある「太陽の塔」のあたりです。
岡本さんは「万博のテーマ・プロデューサー」として、万博のテーマ「人類の進歩と調和」を表現するテーマ展示を依頼されました。
太陽の塔は原始のエネルギーを象徴した縄文土器をイメージしたものです。
塔の頂部と正面そして裏には、それぞれ未来を象徴する「黄金の顔」、現在を表す「太陽の顔」、過去を象徴する「黒い太陽」という3つの顔があります。
そして、その内部は生命の進化の過程を示す展示空間があります。
「生命のエネルギー」を表した高さ41メートルの「生命の樹」に単細胞から人類までの進化の過程をたどる183体の色鮮やかな生物模型が展示されています。
太陽の塔はまさに岡本太郎ワールドなのです。
この太陽の塔は、岡本さんがデザインし、メイン会場を包み込む大屋根とともにつくられましたが、塔と大屋根をつくる際に喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がありました。
議論の相手は大屋根の設計者、モダニズム建築の巨匠・丹下健三氏。
結局は岡本さんが押し切った形になったのですが、この時の岡本さんの信念はすさまじかったようです。
どんな代案を示されても、一歩も一ミリたりとも妥協しませんでした。
近代的な人類の進歩を象徴する大屋根構造物を、原始的モニュメントでぶち抜き、原始のエネルギーがもとになって今、そして未来があるということを表現したかったのです。
不動の心で信念を貫く、山の八白らしいエピソードです。