「この二人はゴミだね。被害者遺族の身になれw」

「もし家族がだれかに殺されたら(事故ではなくね)、その犯人には死刑になってもらわなきゃ気がすまない」

「人の命は、たとえ犯罪者でも、その犯罪者に蹂躙され、ゴミクズのように葬り去られた被害者よりも重いですか?」

「犯人が死刑になると被害者遺族がスッキリする」

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」

「この二人はカスだ。死刑制度がある理由は一にも二にも被害者遺族のためだ」

「被害者遺族の前で言ってこい! もともと死刑は復讐権の代替手段ってことを理解してないんだな」

死刑制度は被害者遺族のためと
言い切る人たちに聞きたい

 まだまだある。ほとんどがこのトーンだ。つまりはこれが、日本の死刑制度存置を支持する9割近い人たちの本音ということになるのだろうか。ならばまずは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言い切る人たちに訊きたい。

 もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのだろうか。

 死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族がいないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。生涯を孤独に過ごして家族を持たなかった人の命は、血縁や友人が多くいる艶福家や社交家の命より軽く扱われてよいということになる。親に捨てられて身寄りがない子どもの命は、普通の子どもよりも価値がないということになる。