謎に包まれた国、全体主義で一糸乱れぬ指導者称賛の国。そんなイメージで語られがちな北朝鮮。しかし、菱田雄介さん(45)がレンズを通して向き合った人々の顔や表情からは、拍子抜けするほど、資本主義の韓国と違いを見いだすのが難しい。

 菱田さんが2017年末に出版した『border|korea』(リブロアルテ刊)は、固定観念を揺さぶる写真集だ。2009年から15年まで、7回の訪朝で撮った写真を左側に、2017年まで十数回の訪韓でレンズに収めた写真を右側に並べている。

菱田雄介さん菱田雄介さん Photo:Taichiro Yoshino 

 民放テレビ局のディレクターとして、2001年のアメリカ同時多発テロ後のニューヨークを現地で取材した。しかしテレビの放送は電波に乗って流れ、煙のように消えてしまう。「歴史の瞬間を手もとに残したい」と自らアフガニスタン、イラクなどを訪れ、歴史の傍にある人々の生活を写真で撮るようになった。

 目の当たりにしたのは、1本の国境線が、どれだけ多くの人々の生活や思考、そして運命を変えるか、だった。

 中東は1916年に「サイクス・ピコ協定」で、イギリス、フランス、ロシアが、列強の思惑で旧オスマン帝国の領土を分割した。当事者の意思と関係なく、多くは合理的な根拠もなく引かれた1本の線が、たくさんの人々を翻弄する。

 アジアでは、朝鮮半島の軍事境界線だった。日本からすぐ近くにある1本の線の、向こう側にいる人々を訪ねてみたいと思った。

朝鮮戦争の開戦を伝える朝日新聞の1950年6月26日付朝刊  朝日新聞社

 1945年8月14日、太平洋戦争で日本が降伏を受諾したのを受け、アメリカの国務陸軍海軍調整委員会(SWNCC)は、日本が支配していた朝鮮半島のどこまで米軍が進駐すべきか調整を行った。米ソが合意した境界は北緯38度線。1950~53年の朝鮮戦争で激しく動いたが、ほぼ38度線に近いラインで休戦協定が結ばれ、現在に至る。

少なくとも首都ソウルは米国の担当区域に含むべきだと思った。一方で、広大な領域に進駐することに陸軍が反対していることもわかっていた。雑誌ナショナル・ジオグラフィックの地図を使って、ソウル北部に適当な境界線を探したが、地理的に自然な線は見つからなかった。その代わりに見つけたのが北緯38度線だった。我々はそれを立案しようと決めた。(アメリカ元国務長官ディーン・ラスク回想録より)