ビッグデータを集めることが目的になっていないか?

 しかし、日立やコマツのような成功事例はごく一部に限られた話で、今もバズワードに多くの企業は振り回されっぱなしだ。あくまでテクノロジーは手段であるにもかかわらず、それを目的化して、それ自体で何かを提供しようという姿勢から脱することがまったくできないでいる。

 それは、単純にテクノロジーということだけでなく、「デザイン・シンキング」というアプローチしかり、「ビッグデータ」という新しいテクノロジーで得られるようになった新しいナレッジしかり、「これを使って何かやれないか」という本末転倒思考に陥っているのが実態だ。

 例えば「ビッグデータ」は、データを集めること自体が目的ではない。何かしら解決したい課題があり、その課題を解決するための解析に、従来は取得できなかったようなデータがIoTのセンサーやソーシャルメディアから手に入れられるようになったに過ぎない。

 音声認識スピーカーからは人間の話し言葉(自然言語)による会話データを大量に収集することができるが、そのデータ収集自体には意味はない。

 あくまで自然言語解析と音声認識の精度を上げることで、より人間が気軽にインターネットにつながり、サービスを受けることを可能にするという目的のための手段なのである。