グーグル、マッキンゼー、リクルート、楽天など12回の転職を重ね、「AI以後」「人生100年時代」の働き方を先駆けて実践する尾原和啓氏。その圧倒的な経験の全てを込めた新刊、『どこでも誰とでも働ける』が発売直後から大きな話題となっています。

今回より、同書の刊行を記念しておこなわれた、新しい働き方についてのトークセッションの模様をお届けします。当日お集まりいただいたのは、プロノバ代表取締役社長の岡島悦子(@mayokajima)氏、株式会社ほぼ日取締役CFOの篠田真貴子(@hoshina_shinoda)氏、元コロプラ副社長で投資家の千葉功太郎(@chibakotaro)氏、ヤフーのCMO(チーフモバイルオフィサー)からLinkedin日本代表に転身された村上臣(@phreaky)氏です。

岡島氏と篠田氏はマッキンゼーつながり、千葉氏と村上氏は日本のモバイルインターネットの黎明期からの盟友で、尾原氏を含めて登壇者が全員モデレーター上手というトークセッションはおおいに盛り上がりました。(構成:田中幸宏)

「ハイなのか、イエスなのか、どっちだ!」

尾原 ふだんはインターネットをわかりやすく説明するということを生業にしているんですけど、今回はじめて『どこでも誰とでも働ける』という仕事の本を書きました。たまたまぼくの友人には、どう考えてもこの人たちは最先端すぎておかしいという働き方をしている方々がいらっしゃるので、今回はその方々をお招きして、世の中が急速に変わっていく中で、どんなふうに仕事をして、どんなふうに自分を成長させて、どんなふうに生き方を楽しんでいけばいいのかをお話しいただければと思います。

左から、村上臣氏、千葉功太郎氏、篠田真貴子氏、岡島悦子氏 (撮影:Mitsuo Yoshizawa)

 とっかかりとして、ぼくのほうで質問を用意しました。「自分をここまで劇的に成長させてくれた秘訣は何ですか?」です。

村上 いま思い返すと、ぼくがグワーッと伸びたのは、パワハラ上司の下にいたときでした。最初、ヤフーに入社したと思ったら、いきなりボーダフォン・ジャパン(後にソフトバンクに買収される)に出向しろと言われて。ボーダフォンに買収される前のJフォンは、JR各社が株を持っていたので、元国営のおじさんたちと外国人のマネージャーに囲まれて仕事をしていて、正直つらかった。政治的な動きが多すぎて、人間不信になったんですよね。それで、本当に鬱になってしまって、心療内科に毎日通いながら仕事をしていたんです。

尾原 リアル鬱?

村上 リアル鬱です。そのときの上司もパワハラ体質だったんですが、それに輪をかけてすごかったのは、ヤフーの親会社のソフトバンクの孫正義(@masason)社長です。孫さんは「ハイ」か「イエス」しか基本的に許さない。「お前はどうなんだ、ハイなのか、イエスなのか、どっちだ!」と迫られるわけですよ。まあ、鬱になりますよね(笑)。

 当時、ぼくはガラケーの開発でモバイルサイトをつくっていて、市場にリリースする前のファイナルレビューは社長自らやるわけです。御前会議みたいなもので、孫さんが1個1個手にとって確かめる。すると、「このフォントをもう少し詰めたら、あと1字入るだろ」みたいなことを言うんです。すぐに変えろと言われても、そんなの無理です。それで「技術的に難しいです」と答えると、プチンとキレて、「世の中に技術的に無理なんてことはないんだ! あるわけないだろ! お前はクビだ!」とか言われて。

篠田 何回クビにされそうになったの?

村上 もう50回以上クビにされたと思います(笑)。でも、そのうちこちらもだんだん覚えてきて、「いや、そうは言ってもこうじゃないですか」と頑張って返すようになったんです。そのときに、「お前は何もわかっていない。1回だけ教えてやる」と言われた言葉をいまでも覚えていて。

 「まずお前は、技術的に難しいと言った。つまり、1つしか選択肢を出していない。お前がやるべきことは、俺に選択肢を与えることだ。A案、B案、C案を出すのがお前の仕事で、無理かどうかは俺が判断することだ。お前が1つしか案を出してこなかったら、お前という人格を否定することになる。でも、A、B、Cを出してくれば、Aはちょっと惜しい、Bは全然ダメ、Cはそこそこと判断できる。選択肢があれば、C’案やD案が生まれるかもしれない。そうなれば、お前を否定しなくて済む」と言うわけです。

岡島 なるほど。

村上 さらに「お前が無理だと言っていることは、技術的に無理じゃない。お前が言うべきなのは、『これを1ヵ月でやろうと思うと100人揃えて100億円かかります。やりますか、やりませんか』ということだ。これを調べるのがエンジニアの仕事だ」と言われて、それ以降は思考がかなりバッサリ変わったんですよね。それまでのぼくは、自分の見える範囲でしか話をしていなかったけれども、孫さんが見ている景色は全然違う。そこまでぼくを引き上げてくれたという意味で、劇的な成長を感じましたね。いま、すごくいいこと言いましたよね。

岡島 自分で言うからダメなんですよ(笑)。

承認欲求は借り物の人生

村上 では、同じ質問を、今度はオカエツさん。

岡島 私はもともと承認欲求が強いんです。承認欲求野郎だから、三菱商事、ハーバード、マッキンゼーみたいに、ハイブランド買いのようなキャリアを歩んできたんですけど、一方で、自由というものが好物で。

村上 自由ってどういうことですか?

岡島 自由というのは、自分の所以(ゆえん)みたいな話らしいんですよ。どの宗教でも、死ぬときに「お前はお前であったか」と聞かれるらしくて。承認欲求というのは、誰かから「すごいね」とほめてもらいたいという意味で、借り物の人生なわけですよね。

 三菱商事からハーバードビジネススクールに行ったとき、このままいくと、私はやりたいことをやらずに死んじゃうんだなと気づいてしまって。当時の私にとっては、総合職だし大手だし安全だし(格付けは)トリプルAだし、三菱商事にいることはすごく自然だったんだけど、ビジネススクールに来た人たちから、「ヤングでスモールでイノベーティブなことがおもしろい学校なのに、お前は何をしに来たのか?」と言われて、目からウロコが落ちました。このまま大きいとか安定というところで生きていったら、みんなから「すごいね」とほめてもらえるかもしれないけど、死ぬときに「これじゃなかった」と思うかもと、そこではじめて気づけたんですね。

 それがけっこう衝撃的で、それからは、仕事を変わるたびに「お前はお前らしくいられるのか?」「それは本当に好きなことなのか?」と自分に問えるようになりました。

篠田 私は岡島さんとマッキンゼーで同僚だった時期があるんです。岡島さんがマッキンゼーを卒業してグロービスに移ることになったとき、ある方から「なぜグロービスに行くのか、せっかくマッキンゼーに入ったのに」と言われて、すごく怒っていたのを思い出しました。その時点で、岡島さんはもう目からウロコが落ちていたから、自分がより自由に力を発揮できる場所として、グロービスに移ることを決められたんだなと思います。

「迷ったら見晴らしのいい場所に行くべきだ」

村上 自分らしさを取り戻すという感じがありますよね、会社に人生を預けるのではなく、自分で自分に問い直すというと。続いて、篠田さん、いかがですか?

篠田 私は日本長期信用銀行(現新生銀行)に総合職で入って、ディーリングというわりと先端的な部署に配属されたんです。入社3年目ではじめての海外出張でニューヨークに行って、現地の支店のディーリングルームとあれこれやりとりをして戻ってきたときに、全体を束ねる常務に現地の事情を細かく説明していたら、途中でそれを遮るように一言「リソースは足りているのか?」と聞かれたんですね。そのときはじめて「経営者ってこういう目線で考えるのか。おもしろいな!」と思ったんです。

 その後、私がビジネススクールに行き、マッキンゼーに入って、ビジネスにおける自分の興味関心を育てたのは、思えばそれがきっかけで。その質問を投げかけられて、それに必死に答えようとして答えられない自分がもどかしかったし、答えられるようになりたいと思った原点なんです。

 もう1つは、ほぼ日のご縁ができるちょっと前の話です。それまで私は、マッキンゼーとノバルティスファーマとネスレという、オールドエコノミーの大企業のど真ん中でいたんだけど、どうも自分の中でいまひとつモチベーションが噛み合っていない気がして、モヤモヤしていた時期が何年かあります。そのとき、梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書)という本を読んで、「迷ったら見晴らしのいい場所に行くべきだ」という言葉に出会ったんです。いまいる場所は明らかに見晴らしがよくないなと。見晴らしのいいところに行きたいなと思っていたときに、いいタイミングでほぼ日との出会いがあったのです。その2つですかね、いま思うと。

村上 視点が変わるときが劇的な成長につながるということですね。千葉さんはどうですか? 千葉さんはいまやドローンの人ですね。

頭の中で見えちゃった以上、全力で突っ込むしかない

千葉 はい、ドローンの人です。でも、人生いろいろあって、ぼくの人生においては、劇的成長した瞬間が2つあります。

 そもそも中高が進学校だったんですけど、ぼくはドロップアウト組で、受験をやめてAO入試で慶應SFCに行ったんですね。AO入試で先に合格が決まってからは、毎日部室に直行直帰で、「絶対に他の受験生と顔を合わすな」と学校にひどいことを言われたりしながら、本当にドロップアウトしたんですよ。なので、そこからはアウトローで行こうと。同級生たちはみんな官僚とかになっていくから、自分はアウトローで行けばいいじゃないかと思って、SFCに入ったら、そこに村井純先生がいて、インターネットという武器を授けてくれたんですよね。「君たち若者でも社会と戦える武器があるぞ、インターネットだ!」と言われて。それが1つめの劇的成長の瞬間で、1993年の出来事です。2つめはiモード。

村上 モバイルインターネットの最初ですね。1999年。

千葉 当時ぼくはリクルートだったんですけど、まだリクルートが紙の出版社だった時代で、新卒110人のうち97人が紙の営業配属で、インターネット担当は3人くらいしかいませんでした。ぼくはインターネット担当で、「これからPCインターネットが来るぞ」と言われていた時代に、「いやモバイルでしょ」と言ったら、上司にさんざん怒られました。「iモードの仕事やりたい」と言ったら、「絶対に認めない」と言われたので、「じゃあ、一切評価に入れなくていいから、PCの仕事はちゃんとやるので、モバイルの仕事をやらせてください」と言って、ドコモに行って尾原さんに会ったり、EZwebの村上さんと会ったりしたわけです。

村上 尾原さんはiモード、ぼくはEZwebの立ち上げをやっていて、EZwebのつくり方を教えたり。

千葉 ぼくのプログラミングの先生ですね。そんなわけで、モバイルインターネットの立ち上げをやっていたんですが、当時はもう完全にアウトローで、まともなサラリーマンではなかった。当時の上司たちと飲むと、いまでも「千葉はあのとき誰も管理していなかったよね。野放しだったよね」と言われます。

 あのときは、モバイルインターネットがこれからの日本の社会のベースになり、世界をリードできる可能性があると頭の中でひらめいたんですよね。自分の脳内で、電車の中で手のひらでモバイル端末を持ってゲームをしている風景がはっきり見えたんです。見えちゃった以上は、グダグタ言っていてもしょうがない。やるしかないということで、全力でそこに突っ込んでいきました。これが圧倒的な成長の軸になると、ぼくは思っています。
(第2回へ続く)

村上臣(むらかみ・しん)
大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。その後統合したピー・アイ・エムとヤフーの合併に伴い、2000年8月にヤフーに入社。一度退職した後、2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月にLinkedinの日本代表に就任。複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。
千葉功太郎(ちば・こうたろう)
個人適格機関投資家・慶應義塾大学SFC研究所 上席所員。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、株式会社リクルート(現 株式会社リクルートホールディングス)に入社。2000年より株式会社サイバードでエヴァンジェリスト。2001年に株式会社ケイ・ラボラトリー(現 KLab株式会社)取締役就任。2009年株式会社コロプラに参画、同年12月に取締役副社長に就任。採用や人材育成などの人事領域を管掌し、2012年東証マザーズIPO、2014年東証一部上場後、2016年7月退任。現在、慶應義塾大学SFC研究所 ドローン社会共創コンソーシアム 上席所員、株式会社The Ryokan TokyoのCEO、国内外インターネット業界のエンジェル投資家、リアルテックファンド クリエイティブマネージャー、Drone Fund General Partner を務める。
篠田真貴子(しのだ・まきこ)
1968年生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)に。ペンシルバニア大学ウォートン校でMBA、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士学位を取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ノバルティスファーマを経て、2008年、東京糸井重里事務所(現・ほぼ日)に入社し、翌年より現職。
岡島悦子(おかじま・えつこ)
1966年生まれ。筑波大学卒業後、三菱商事に。ハーバード大学経営大学院でMBA取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。グロービス・マネジメント・バンク事業を立ち上げ、代表取締役に就任。2007年、「日本に“経営のプロ”を増やす」を掲げ、プロノバ設立。アステラス製薬、丸井グループ、リンクアンドモチベーションなどの社外取締役も務める。