機内映画の中国語字幕が増えていた写真はイメージです

日本人が海外に出掛け始めた時代
機内の映画は日本語字幕ばかりだった

 二十数年ぶりにヨーロッパを旅行した。駆け足とは言え、ギリシアの首都アテネ、イタリアのサルデーニャ島、スペインのバルセロナ、ポルトガルの首都リスボン、フランスのル・アーヴル、首都パリなどを回った。これらの西ヨーロッパの国々は、いずれも初訪問なので新鮮な発見があり、興奮した旅だった。

 1992年から数年間、私は取材のため、頻繁にヨーロッパを訪問していた時期があるが、当時は主にドイツ、オーストリア、そして東ヨーロッパのハンガリー、チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分かれた)、ルーマニアといった国々とロシアだった。

 あの頃のことを思い出すと、懐かしい思い出が“記憶の倉庫”からいろいろと出てくる。インターネットも携帯電話もまだ普及していなかった時代だったので、おぼつかない英語を最大限に活用して何とか目的地にたどり着き、海外に出始めた中国人を追い掛けながら取材を続けていた。

 これらの取材活動は、やがて拙著『新華僑』『蛇頭(スネークヘッド)』として実を結んだ。そして、私がネーミングしたこの「新華僑」という言葉は1978年、改革開放路線を実施してから海外に出た中国人を指す固有名詞として世間に認知され、やがて中国政府もこの表現を使うようになった。