しかし、データと情報には明確な違いがある。データは数字と事実の集合であり、「データ」のラテン語源「dare(ダーレ)」は、「何かが与えられ」、「見るのに適している」という意味を含んでいる。データに構造が与えられ、一貫性のある形で編成、解釈または伝達されると、それが情報に昇華される。

 GDPRは個人情報以前の個人の「データ」に立脚する。現代の個人データは、インターネット上を駆け巡るデジタル・データである。わたしたちのシンプルだった個人データは、わたしたちを広範囲に追跡し、わたしたち自身から外部化される。そうなると、そのデータは自分自身では制御できず、サイバー空間に漂流するアルゴリズム・アイデンティティに変貌しているのだ。

 人生はアルゴリズムに支配されると指摘したのは、米ミシガン大学のジョン・チェニー=リッポルドだ。彼は「われわれはとっくにデータとなっている」と指摘し、アルゴリズムにさまざまな形で影響を受ける人間社会に警告を発した。

 コンピュータにはデータが必要であり、人間には情報が必要となる。データはビルディング・ブロックとなり、情報は人間に意味と文脈を与える。本質的に、データは生データであり、整形、処理、解釈以前の状態である。それは人間が読むことができない0と1の二進法で記述される。データが処理され情報に変換されると、人間が読むことができるようになる。文脈と構造が与えられ、意思決定に役立つのが情報である。

 GDPRはさらに「一般データ」(General Data)として、EU市民の個人データとプライバシー保護に必要な広義なデータ保護を対象とする。データから情報への変化は、いまや人間という前提を超えて、AI(人工知能)やロボットのためのデータ保護にも転移しはじめている。

 デジタル世界を生きるわたしたちのプライバシーに何が起きているのか?

 技術と規則が先行するなか、わたしたちは裸のままこのデジタル世界を生きるのか?

 インターネットをその初期段階にリセットすることをめざすGDPRを軸に、いまのイン
ターネットを再考する必要がある

 本書は、インターネットをデータ資本主義の跳梁の足場に変えてきたシリコンバレーのビッグテックに対抗し、世界に先がけて「プライバシーの死」と対峙する欧州連合とその市民の記録である。

(了)