大阪地震で住民はどのように行動し、いまどんな課題を持っているか
ブロック塀が落ち児童が亡くなった寿栄小学校 Photo by Masao Awano

 JR高槻駅近くのマンション4階に住むデザイナー西崎誠さんは、その瞬間、仕事部屋にいた。

「すごい揺れで表に出るとプラスチックみたいな水道タンクが壊れて落ちていた。でも阪神淡路大震災の方が長く揺れて怖かった。水道はその日のうちに復旧しました」

 別の部屋にいた妻の理恵さんは、「電気も大丈夫でした。ガスは自動停止したけど大阪ガスが元栓を開いて管理員さんがボタン操作し、2日後には回復しました」と話す。

 6月18日に大阪北部を襲ったマグニチュード6.1、最大震度6弱の大地震。気象庁が1923年に観測を開始して以来、これだけの規模の地震が大阪府で発生したのは初めてという。しかし、同じく関西で1995年に発生した阪神淡路大震災と比べ、物的・人的被害が小さかったこともあるせいか、「その後」の報道を見ると、地震の教訓に鋭く切り込んだものはそれほど多くないように感じる。

 自宅が関西にある筆者をはじめ、かの地でこの大地震を体験した人々は、そのときどう行動し、その後どんな危機感を感じて暮らしているのか。メディアでは報道し切れない被災地の現状と残された課題を、住民の「生の声」を通じて紹介する。

悪質便乗商法も横行
ライフライン復旧への不安

 まず、地震発生直後に何をさし置いても重要なのは、ライフラインの確保だ。思わぬ「二次被害」も発生している。大阪市では60代の男性が業者にガスの復旧依頼をしたところ、復帰ボタンを押しただけなのに「部品を交換した」と十数万円も請求されたという。死者5人を出した地震も「浪速のマチ」ではまず悪質便乗商法が横行したようだ。