しかし、そんな重大犯罪人に対してさえ、死刑はダメだというのが死刑廃止論者の正義であるはずだ。だが今回、その死刑の不当性を訴えるような活動はまったく聞こえてこなかった。アムネスティ・ジャパンなどは麻原たちの死刑執行を受けて、意見表明を自分たちのウェブサイトに掲載している。しかし死刑反対活動は、死刑執行時点ではなくて、死刑判決を受けた時点でやらないと意味がない。人は死んだら終わりだからだ。死刑反対は、死刑囚が生きている間にやらなければ意味がない。

 死刑反対論者は、「麻原の死刑判決に対しても反対意見を表明した」と言うかもしれない。しかし、アドボカシー(権利擁護)みたいなものは存在感がなければ意味がない。社会の議論を喚起しなければ意味がないからだ。そして、麻原のような人物に対してさえ死刑は不当であるという意見は、大きな議論を呼べる「ネタ」であったはずだ。しかし、メディアでも大きく取り上げられることはなかった。さらに言えば、たとえば「麻原彰晃」でググっても、死刑反対のページは上位表示されない。これは、ネット上でも熱心な言論活動をやっていないことを意味する。死刑廃止論者は冤罪が疑われるような事件は大騒ぎするが、麻原たちオウム真理教の死刑囚たちにはそれをやっていない。そこに僕は、死刑廃止論者たちの欺瞞を感じる。

 個人的には、僕は死刑支持だ。しかしそれは犯罪抑止論の観点でもなければ、被害者の復讐心を満たすべきだという感情論でもない。オウム真理教のように確信犯的に大量殺人を実行する人間の更正はかなり難しいから、危険な人間は殺しておくほうが社会の安全ためだという意見もあるかと思うが、それも僕が死刑を支持する理由ではない。もっと宗教的な理由だ。

 かつて遠藤誠という弁護士がいた。怪物ともいわれた名物弁護士で、テレビのコメンテーターとしても活躍していたが、弁護士としての実績はすごかった。帝銀事件、永山則夫事件といった昭和史に残る事件の弁護士を務め、反戦自衛官や映画『ゆきゆきて神軍』の主人公・奥崎謙三氏の事件も弁護した。暴対法ができた時の違憲訴訟では山口組の弁護士も務めた。また、麻原彰晃からも弁護を依頼されている(弁護は拒否)。まさに、怪物弁護士であった。

 遠藤弁護士は若い頃はゴリゴリのマルクス主義者であったが、闘病を機に仏教に帰依し、本人の言葉によれば「遠藤誠は仏教者であり、弁護士を趣味とする」ようになった。仏教勉強会も継続して行っていた。麻原彰晃からの弁護依頼を断った理由も「麻原は宗教家ではないから」というものだったと記憶している。麻原はヒマラヤで修行し最終解脱したと吹聴。仏教の教義や用語をパクり、オウム真理教がまるで仏教のもっとも正しい進化形であるかのような主張をしていた。そのような行為が遠藤弁護士の目には「仏教を貶めた」と映ったのではないかと思う。だから麻原を許せない、とても弁護などできないと思ったのだろう。