ちきりん  ところで、先生はどのような経緯で東芝に入社されたんですか?

竹内  私は東大の工学部物理工学科に進学したんですが、そこにはノーベル賞候補の先生がたくさんいて、将来、そういう先生のようになりたいと憧れていました。基礎研究をやりたかったんですね。

 ご存じのように、工学部というのは、基礎研究ではなくて応用研究が本分ですよね。でも、私はホントは電気とか通信、機械のような産業分野での技術開発とか製品開発って、俗っぽくて嫌だったんですよ。お金儲けよりも自然界の根本原理を見つける仕事のほうがずっと高尚だと考えていたんです。

ちきりん
関西出身。バブル最盛期に証券会社で働く。その後、米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。マネージャー職を務めたのちに早期リタイヤし、現在は「働かない生活」を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログ「Chikirinの日記」を開始。政治・経済からマネー・問題解決・世代論まで、幅広いテーマを独自の切り口で語り人気を博す。現在、月間150万以上のページビュー、日に2万以上のユニークユーザーを持つ、日本でもっとも多くの支持を得る個人ブロガーの1人。著書に『ゆるく考えよう』(イースト・プレス)、『自分のアタマで考えよう』(ダイヤモンド社)がある。

ちきりん それなのに、なぜ民間企業に?

竹内  大学院の時、たまたま先輩から「東芝に企業訪問するから、おまえも一緒に来ないか」と誘われたんです。私は大学に残るつもりだったので、就職する気なんか全然なかったんです。でも、当時はバブルがはじけたといっても、まだ企業訪問をすれば食事をごちそうしてもらえるような、とてもいい時代だったんですよ。そこでメシに釣られて東芝に行ったら、舛岡富士雄さんという人に会ってしまった。

ちきりん  舛岡さんって、フラッシュメモリを開発した方ですよね。私も、名前だけは存じ上げています。

竹内  その舛岡さんです。フラッシュメモリというのは、デジカメ、USBカード、iPhone、iPadなどに使われている記憶媒体のことです。パソコンに使われているDRAMというメモリは電源を切ったらデータは消えてしまいますが、フラッシュは電源を切っても消えずに残る。

 残るという意味では、ハードディスクも残りますが、あれは機械的な駆動部分があってスピードは遅いし、大きい。デジカメやiPhoneのように持ち運びをする媒体に使うと振動で壊れたりする。フラッシュは電子回路なので速いし、小さく、振動にも強いんです。しかも、電源を切ってもデータは残る。

ちきりん  いいことづくめですね。でも、話を戻しますが、竹内先生は最初、東芝に入る気はなかったんですよね?

竹内  ええ。そもそも、技術とか開発を俗っぽいと思っていたので、ホントは舛岡さんの名前も、フラッシュのことも、その時までなにも知らなかったんです。でも、舛岡さんに出会って、東芝に入ろうという気持ちに変わった。舛岡さんは、「いまDRAM、CPUが開発されているけれど、次はフラッシュの時代だ、それを開発できるのは世界でもオレ一人だ」とすごい迫力で言い切るんですよ。それで、私はきっとこの人についていくんだろうな、と運命的な出会いに感じたんです。

 ただ、問題が一つありました。私は当時、まだ修士の2年生で、博士号まで取りたいと考えていたことです。すると、舛岡さんは「東芝に入っても博士号は取れるよ」と言われたので、なるほど、そういう道もあるのかと考え直しました。東芝に入ったのは93年のことです。実際に、東芝でのフラッシュメモリの研究成果で、2006年に博士号を取ることができました。