約500年もの歴史をもつ和菓子の老舗「虎屋」は、伝統を重んじつつ、トラヤカフェの開店や、やわらか羊羹「ゆるるか」の開発など新たな挑戦にも次々挑んでいます。本対談では、同社の黒川光博社長をお迎えし、日本で初めて世界最高峰のワインコンクール「デキャンタ・ワイン・ワールド・アワード」で金賞を受賞したグレイスワインこと中央葡萄酒の取締役栽培醸造責任者である三澤彩奈さんが尊敬し共感する「虎屋」の企業姿勢について伺っていきます。特にこの前編では、和菓子とワインに共通する「原材料の大切さ」と、それを生産してくれる農家さんとの関係づくりについて議論が進みます。
羊羹をスライスしてチーズと合わせると
ワインにぴったり!
三澤彩奈さん(以下、三澤) 昨日、海外出張から帰ってきたのですが、ちょうどパリに寄ったので、虎屋さんのパリ店にもお邪魔しました。パリには1980年から出店されているんですよね。お羊羹を切ってチーズと一緒にいただくと、ワインにも合うのではないかと思って、はちみつ味などのお羊羹をいくつか購入して試させてもらったら、やっぱりおいしくいただけました。
株式会社虎屋代表取締役社長
学習院大学法学部卒、富士銀行(現みずほ銀行)を経て、1991年より現任。全国和菓子協会名誉会長、一般社団法人日本専門店協会顧問。趣味は読書、映画鑑賞、テニス、ゴルフ等。著書に『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(新潮新書)、『老舗の流儀 虎屋とエルメス』(新潮社)。(写真:疋田千里)
黒川光博さん(以下、黒川) そうでしたか。ありがとうございます。
三澤 友人にチーズの専門家がいるのですが、フルーツをペクチンで固めたパート・ド・フリュイをチーズに合わせてよくお出ししているんです。日本人のお客様はあまりパート・ド・フリュイになじみがないので「フルーツのお羊羹です」と彼女が説明していたのを思い出して、代わりにお羊羹で合わせてもおいしいのでは!と思い付きました。
黒川 そういう新しい食べ方をご提案いただくのは面白いですね。「甘いものとお酒は合わない」とも日本だとよく言われますが、実際はそんなことないんです。合わせ方ひとつというか。
三澤 本当にそうだと思います。
「おいしい」は味だけでなく
提供の場など総合点で決まる
中央葡萄酒株式会社取締役栽培醸造責任者
マレーシアのワインイベントを手伝った際、自社ワインを愛飲してくれていた外国人夫婦に感激し、ワイン造りの道へ。ボルドー大学卒業後は家業に戻り、シーズンオフには南アフリカ・オーストラリア・チリ等へ武者修行に出て新たな知見を吸収、ブドウ栽培や醸造を父・茂計とともに見直してきた。スパークリングワインやロゼワインなど新たな仕込みにも挑戦し、DWWAでは2014年以来、5年連続金賞を受賞するなか、2016年は欧州勢が上位を占めるスパークリング部門でも最高賞を受賞した。
三澤 黒川社長のご著書やインタビューを拝読すると、よく「お菓子はおいしくなければいけない」など「おいしい」というキーワードが沢山出てくるのですが、黒川社長がとらえておられる「おいしい」とはどういうものか伺えますでしょうか。原料の良さなのか、食感なのか、あるいは安全・安心であることや、品位みたいなイメージなのか……ワインだと「おいしい」という表現をあまりしないので、非常に興味をもちました。
黒川 「おいしい」というのは、味だけではありません。味ひとつとっても複数の要素があって、原材料を吟味したり、できるだけ余計なものを加えずに素朴にどう作るかという過程であったり、それらがすべてかみ合って「おいしさ」が生まれてくるんだろうと思います。ただ、「おいしさ」というのは味だけではなくて、見た目の美しさはもちろんのこと、提供させていただくときの対応の仕方や所作など全体的な雰囲気というものが全部まじりあってでき上がると思うんです。
三澤 ワインの場合、一部には糖や酸などを加えたものがありますが、和菓子で「余計なものを加えない」というとき、どんなものを加える余地があるのですか。
黒川 もちろん、ワインも和菓子も製造過程で加えるべき必要なものもあるでしょうが、たとえば和菓子でいえば、日持ちをさせるためや、形崩れしないようにするための添加物はいろいろな種類があります。ただ、私はあまりそれらを良しとしないので、日持ちしないならそれでいいと割り切って、なるべくシンプルに作りたいと考えています。
三澤 必要な原料のみで作っておられるんですね。私も機能性食品は苦手なので、虎屋さんのお菓子は安心して美味しくいただいています。
黒川 三澤さんは伺うところによると、ワインの味をお感じになるために、そういった添加物だけでなく、チョコレートや刺激の強い味のものも控えておられるんですってね。私にはちょっと難しいですね(笑)。
三澤 ええ、でもお菓子は食べます(笑)。三歳から日本舞踊を習っていたのですが、むしろお稽古の後に出される和菓子とお茶を楽しみに通っていたぐらい、和菓子が大好きなんです。
和菓子とワインに共通する
原材料へのこだわり
黒川 昨年新たに発売した「ゆるるか」という柔らかめの羊羹(編集部注:小倉羊羹「夜の梅」の場合で、同社製品比27分の1の柔らかさ)があります。ご高齢になられたりご病気などで、噛む力、飲み込む力が弱くなった方にも、お召し上がりいただきやすい硬さの羊羹を開発しました。そうは言っても、羊羹というのは、ある程度の硬さ、食感、嚙みごたえは必要なんです。しかも、嚙みごたえがあって柔らかいというちょうどいい塩梅を、普通の羊羹と同じく、小豆と寒天と砂糖の3つの原材料だけで実現しようとしたら大変難しいのですが、技術者たちが数年試行錯誤し、なんとか完成に漕ぎ着けました。
これも、柔らかくする添加物を入れればいくらでも作れるのですが、とにかく基本の3つの原材料だけで作る、というのが私どものこだわりですし、そういうものづくりが「おいしさ」を実現するうえで大切ではないかと思っています。
三澤 ワインの場合も、「いいワイン」はいい原料からしかできない、と私は考えています。よくワインの出来を決めるのは「原料80%、技術20%」と言われるのですが、私の感覚ではそれ以上にブドウの出来が関係すると思います。
特に山梨では食用のブドウを作ってきた歴史が長く、その残りでワインを仕込むような時代もありました。まずはワイン向きのよいブドウが取れるよう、畑1枚からとれる収量を制限し、日当たりや風通しがよくなるように工夫したりして、糖度の高いブドウが収穫できるようにしてきています。あとは、補糖や補酸をしたワインも法律では認められているのですが、やはり最初の1年ぐらいはフレッシュで美味しく飲めても、5年、10年はもちません。本当にいいブドウで仕込んだワインは、そのぐらい年月が経っても、色褪せない味わいがあるんです。
黒川 甲州のブドウというと、お酒のためのブドウというより、ブドウ狩りとか食用のブドウのイメージが強かったですね。かなり歴史のある品種なんでしょう?
三澤 DNA解析によると、甲州もピノ・ノワールやカベルネ・ソーヴィニヨンなどと同じ系統を持ち、南コーカサスで生まれ、1000年程前にシルクロードを通り日本に辿りついたことが推定されています。巨峰のように、アメリカ系の品種が交配された、香りの強いブドウとは性質が異なり、特徴を比べるとタイ米とコシヒカリ以上の差があります。また、もともとはワイン用の品種なのですが、聖武天皇の時代にお寺が薬園栽培として甲州を育てるようになったという一説があります。食べることに使われた歴史が長かったせいか、植え方や育て方はワイン用になっていなかったんですね。
ワイン用のブドウの場合、ブドウに含まれる糖が酵母によってアルコールに分解されるので、ブドウの糖度が低いと、醸造するときに糖を足してアルコールを上げなければなりません。甲州も長い間、糖度が上がりにくく、ワインに向かないと言われていました。
私たちのワイナリーは代々、もっと甲州に潜在能力があると信じていて、栽培方法を改善して、摘み取る時点で糖度の高いブドウが取れるように試行錯誤してきました。
黒川 そう伺うと、あらためて原材料って大切なんだなと思いますね。私どもの会社で最も熟練した技術者も、和菓子作りで何が一番重要か尋ねると、「やっぱり原材料です」って言うんです。製造部門の社員はみな彼にすべてを教わっているというぐらい、高い技術をもつ者でもそう言うということは、そのぐらい原材料が大切だということですが、三澤さんに原材料の大事さを伺って「やはりな」と思いを強くしました。三澤さんのところは一部ご自身で原材料のブドウも栽培されていらっしゃるようですが、我々は小豆にしても寒天にしてもそれぞれ生産者さんに作っていただいているので、その方達とも心を通じ合わせて本気で作っていただける関係を築かなければいけません。
原材料農家さんとの信頼関係を築くには
互いをよく知りあうこと
三澤 弊社でも、買取契約を結ばせていただいている農家さんがあります。虎屋さんも、そういった契約農家さんから調達されるのですか。
黒川 そうですね。多くの原材料は、特定の生産者さんと契約して作っていただいています。たとえば白い小豆は主に群馬県の沼田、などです。三澤さんは外部の生産者さんに「こういう点に気を付けて作ってください」といったご指導などもされるんですか。ブドウをつくる上では何が一番重要なのでしょうか。
三澤 日本でワイン用のブドウを栽培するうえで、キーワードは2つあると思います。ひとつは「土壌の水はけ」です。いかに水はけよくするか。もうひとつは、「日照時間」。日照をいかに長く確保するか。この2つがブドウの糖と酸をしっかり保持するうえで大切なので、一番気を付けている点です。
あとは、この2つを実現するために、畑は南西向きの斜面を選ぶとか、風通しがよくなる方向に植える、光合成を効率よくさせるために葉面積を確保する、できるだけ標高の高いところのブドウを使う……といったことでしょうか。そして、とにかく丁寧に作業することを心がけていて、畑がジャングルのようにならないよう、整理整頓されたきれいな畑づくりを目指しています。
黒川 生産者の方にすると、たくさんブドウが採れたほうが収入につながるし、いいわけですから、そのあたりの方針に納得いただくのは大変でしたでしょうね。
三澤 今はかなりご理解をいただけていますが、過去に父は苦労してきたと思います。
ブドウは「糖度買い」といって、糖度で値段が決められるのですが、その測定は一般にサンプル計測で、ほんの一部の房を取り出して測る方法でした。そんなときに、10キロ詰めの収穫箱の下のほうのブドウは傷んでいたりして……農家さんと深い信頼関係を築くには、農業を理解しない売り手と買い手という関係だけでは本当に難しいことだと思います。父は家業を継ぐ前は商社に10年務めていて、戻ってきた直後はそういうことが続いてショックを受けた時期もあったようです。でも、めげずに会合を重ねたり、特別の契約を結んだり、勉強会をたくさんやって原料ブドウを重視している姿勢を丁寧に示して、信頼関係を築いていきました。
黒川 私も同じような経験があります。もうこの会社に入って40年以上になりますが、最初のころは、生産者の方のところに直接伺って、一緒にお酒を飲んでいろいろな話をしたりしました。それで、ようやく信頼関係が築けたと思っても、ほかにスポット価格で高く買うという方が現れるとうちとの取引は反故にされたり、一進一退でなかなかよい関係はすぐには築けませんでした。
そのうち、弊社から種まきや収穫を手伝いに行くようになったのですが、これを始めた当初は「何を企んでいるんだ」と警戒されていました。それでもしつこくお願いし少しずつ受け入れていただき、今では当たり前のように交流があります。やはり交流が増えて互いの事情を知るようになると、分かりあえるようになってきますね。こちらも、「あんなに苦労して作っていただいた原材料なのだから大切に扱わなければいけない」と思いますし、生産者の方々も「人手が足りないときに来てくれて助かるな」と感じてくださっているようです。(後編につづく)