ボランティアも14~16日の3連休を中心に延べ4万人以上が結集したが、依然として浸水したままの地域や流れ込んだ泥によって足を取られるような場所もあり、作業は困難を極める。梅雨明けとともに気温も上昇しているため熱中症への警戒も必要で、濁流とともに流れ込んだ泥が渇いて土埃となり、のどや目の痛みを訴える住民やボランティアもいるという。救援物資も届きつつあるが、十分とはいえないようだ。

 各地から自衛隊や自治体関係者らも駆け付け、行方不明者の捜索や復旧に向けた支援活動を行っているが、被災地が広範囲であることもあり、被害の全容はいまだ見えてこない。気象庁は9日、この未曽有の災害について「平成30年7月豪雨」と命名した。

必ず起きる災害報道への批判

 こうした災害報道について回るのが、SNSやインターネットを中心に湧き上がるマスコミ批判だ。よく目にするのは「犠牲者への遺族取材をやめろ」「復旧作業の邪魔」「被災者への配慮がない」などだが、一方で「自分が関係する地域の情報が薄い」「必要な情報をきちんと伝えてほしい」という意見もある。

 なぜ、こうした批判が必ず出てくるのか。理由は2つが考えられる。1つは災害取材の実態が知られていないということ。もう1つは報道による被災地の利益が理解されていないことだ。

 災害報道を批判する方々には驚きかもしれないが、被災地での取材で感謝を口にされることはあっても、邪魔者扱いされることはまずない。まして舌打ちされたり罵詈雑言を浴びたりすることはないということだ。批判はせずとも、快く思っていない人も、こうした実態は意外かもしれない。

 なぜか。前提としてだが、災害報道を批判する人たちには「記者というのは態度がふてぶてしく尊大」「嫌がる被災者の迷惑も考えず追い掛け回す」などの思い込みがあるのではないか。これが大きな誤解の元だと思うのだが、災害取材で現地入りするのは、ほとんどが20~30代前半の若手記者で、永田町や霞が関、兜町などで偉そうにふんぞり返っているベテラン記者ではない。

 筆者がかつて所属していた新聞社では、大規模な災害取材では若手記者が現地に派遣され、取材で集めた情報を原稿にして社会部にメールで送信。加工が不要な原稿はそのまま掲載されるが、似たようなエピソードが別々の現場から送られてきた場合は、社会部のベテラン記者が組み合わせて再構成するという役割分担が当たり前だった。これは他の新聞社やテレビ局もほぼ同じと思う。