パワハラの要因は世代間格差?
海外では「みんな違う」のが当たり前

 社内イベントがパワハラに繋がるコンプラ違反になり得ることを述べたが、職場にはこれ以外にも、「仕事で注意したらパワハラ」「褒めないとパワハラ」「飲み会でビールをつがせたらパワハラ」といった様々なパワハラの芽が潜んでいる。特に「若手と関わると気が休まることがない」と嘆くマネジャーは少なくないだろう。

 ただし、こうした傾向は、逆に「ズケズケと自分の言いたいことを言って、他人を傷つけている人」を封じ込めるという、メリットにもなり得る。

 今まで社内で問題視されてきた「言葉がキツイ人」は、自由に、本能のままに「暴言を吐き出し放題」であったが、コンプライアンスの強化によって彼らを規制する名目をつくれる。「言葉がキツイ人」は自分が毒を吐いていることにさえ気づかないので、規制がない限り、態度を改めさせることは難しい。そしてコンプラ強化は、その「言葉がキツイ人」に自分自身も知らないうちになってしまわないよう、我が身を律するための目安になるから、ネガティブなことばかりではない。

 ところで、そもそも昨今のパワハラ基準の厳しさに驚いてしまうのは、世代の違いにも一因があると思う。日本は縦社会であるせいか、それほど年の差がなくても、流行っている言葉や価値観の違いを少しでも感じると、「若い世代は違う」「理解できない、信じられない」と言って、相手をはねつけてしまう傾向があるように思える。

 どんどん厳しくなっていくパワハラ基準に、上司と部下、先輩と後輩などの世代間における「お互いを理解できない不安」を埋めるための予防線の意味合いがあることは、おそらく間違いなかろう。

 そこで筆者が提言したいことは、お互いの「違い」を認め合うことが、職場でのパワハラの減少や撲滅、ひいてはパワハラへの過敏な気遣いの是正に、少なからず繋がるのではないかということだ。「違い」は世代だけではなく、性別、国籍、言語、さらには生活様式に至るまで多岐に渡る。そうした「違い」の全てがパワハラに繋がるリスクはある。

 では、「違い」を認め合うことがいかに大切かを、筆者が働くマイクロソフト・シンガポールのオフィスを例にとって説明しよう。60ヵ国以上の人が同じ会社で働いているので、筆者の職場では習慣や価値観の「違い」を感じることが多々ある。いや多いどころか、「何もかもが違う」という言い方のほうが近いかもしれない。