アカデミーの設立と
確立されるジャンルのヒエラルキー

木村泰司(きむら・たいじ)
西洋美術史家
1966年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を取得後、ロンドンのサザビーズ美術教養講座にて、Works of Art修了。エンターテインメントとしての西洋美術史を目指し、講演会やセミナー、執筆、メディア出演などで活躍。その軽妙な語り口で多くのファンを魅了している。『名画の読み方』『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)、『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)ほか著書多数。

 そして、17世紀にジャンルが多様化して以降、物語画である歴史画を頂点としたヒエラルキーが確立していきました。17世紀以降、パリに設立された王立絵画彫刻アカデミー(Académie Royale de Peinture et de Sculpture)によって、これらのジャンルに対するヒエラルキーが確立したのです。

 アカデミーという組織的制度のもとで、歴史画を最高位にし、次に肖像画、その下に風俗画、風景画と続き、静物画を最下位に置くジャンルのヒエラルキーが確立したのです。大画面で描くことを許されたのも、歴史画のみでした。このヒエラルキーは19世紀初頭までヨーロッパの美術界と画家たちの制作活動を支配することになります。

 王立絵画彫刻アカデミーは当時の貴族の爵位と同様に、画家たちの地位まで確立したのでした。アカデミーで教授の地位につくのも歴史画家でなくてはならず、当然アカデミー会長に就任したのも歴史画家でした。そして、神が創り給うた人間を描く肖像画家が、歴史画に次ぐ地位を占めたのです。

 アカデミーにおける歴史画至上主義は、それすなわち男性裸体のデッサンという基本的実践教育の根拠となったため、そのことが女流画家の限定的な活動にもつながりました。美術史で女性の画家が圧倒的に少ないのはそのためです。フランス革命後、王立絵画彫刻学校が再編されエコール・デ・ボザール(国立美術学校)となっても、女性の入学は1897年まで許されませんでした。

 こうして、歴史画を頂点とする歴史画至上主義が長くはびこることになり、歴然としたジャンルのヒエラルキーが確立する結果となったのです。