美術史の本としては異例となる5万部を突破した『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』の著者であり、新刊『名画の読み方』『人騒がせな名画たち』も好評を博している木村泰司氏。本連載では、新刊『名画の読み方』の中から、展覧会の見方が変わる絵画鑑賞の基礎知識などを紹介してもらう。今回は、静物画についての必要な知識をいくつか教えてもらった。

オランダ特有の静物画「ヴァニタス」

木村泰司(きむら・たいじ)
西洋美術史家。1966年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を取得後、ロンドンのサザビーズ美術教養講座にて、Works of Art修了。エンターテインメントとしての西洋美術史を目指し、講演会やセミナー、執筆、メディア出演などで活躍。その軽妙な語り口で多くのファンを魅了している。『名画の読み方』『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)、『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)ほか著書多数

 17世紀、国家として独立を勝ち取ったオランダでは、プロテスタントを中心にした市民社会が確立しました。その結果、市民階級に向けてシンボリズムを駆使した特有の静物画が発展していったのです。

 プロテスタント文化圏となったオランダでは、食物を描いた静物画でもオランダ社会らしい厳格なプロテスタント倫理観(より正確にはカルヴァン主義的倫理観)に則った節制を促すものになっています。そしてサイズが小さめで、禁欲的なメッセージを込めた静物画「ヴァニタス」として描かれることも多くありました。

 ヴァニタスの原義は「虚ろ」を意味し、「人生の虚しさ」や「地上のあらゆるものの儚さ」を表しています。ヴァニタスの根底には「死を想え/死を忘れるな(メメント・モリ)」の思想がありました。

 そのため、「メメント・モリ」が強調された静物画には、頭蓋骨や蠟燭、砂時計や懐中時計などが時の経過を表し、覆された杯などの食器は虚ろさを示唆するために描かれています。宝石や硬貨など財宝的なものは、死が持ち去る現世の富や権力を象徴し、花が描かれている場合は人生の短さを表しています。そして、ひっくり返った豪華な銀製品や割れたグラスなどは、食事が突然中断されたことを表し、それすなわち突然訪れる人生の終焉といった「儚さ」を想起させるのです。

ピーテル・クラース『ヴァニタス』
ピーテル・クラース『ヴァニタス』1630年、39.5×56cm、マウリッツハイス美術館

 花瓶に活けた花を描く場合でも、オランダの静物画ではヴァニタスの要素が強く、人間の一生と死後の世界を表しています。花の周りには、人間の魂の象徴として「蝶」が描かれることも多く、そのほかにも「カタツムリ」が老いの象徴として描かれたり(速く進めないため)、蛹(さなぎ)が復活の象徴として描かれたりしました。