「愛されたい」貧困と虐待に沈む子どもを救えない社会の機能不全児童虐待に対する社会の在り方が改めて問われるなか、周囲も児童相談所も、しばしば「動きたくても動けない」という状況にある。社会の機能不全はどうして起きるのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

虐待対策に必要なのは
子ども自身の声ではないのか

 今年3月、東京都目黒区で5歳の女児が両親からの虐待の末に亡くなった。女児は日常的に暴行を受け、充分な食事を与えられずに衰弱していたところを放置され、肺炎による敗血症で亡くなったとされる。両親は、保護責任者遺棄致死罪によって起訴されている。

 女児が虐待を受けていることは、一家が香川県に居住していた2016年から認識されており、香川県の児童相談所が対応していた。児童相談所は、日常的に深刻な虐待が行われていることを充分に認識しており、2016年12月と2017年3月の2回にわたって、合計で約6ヵ月の一時保護も行なった。いずれも、契機は父親による暴行であった。父親は傷害容疑で書類送検されたが、起訴はされなかった。

 虐待の背景に貧困があるとは限らない。しかし、貧困と虐待は絡み合って発生していることが少なくない。貧困問題に関する取材を行なっている私は、自動的に数多くの虐待事例を見聞することになるのだが、その「相場感覚」に照らすと、香川県の児童相談所は、かなり踏み込んだ対応を行なっていたと感じられる。

 香川県の児童相談所は、一時保護した女児を自宅に帰すにあたって、両親と面接し、両親のもとに帰らせた後のフォローアップも行なった。一家が東京に転居した後は、居住地を管轄する品川児童相談所に引き継ぎを行なった。引き継ぎを受けた品川児童相談所は、複数回にわたって家庭訪問を行なったが、女児には会えなかった。そして悲劇が起こった。

 私には、香川県と東京都の2つの児童相談所は、ベストを尽くそうとしていたと感じられる。しかし、結果として女児の命を救えなかった。児童相談所や福祉事務所の職員が家庭訪問をする際、玄関先で親が「子どもは元気で、今、奥の部屋で寝ています」と言い張るのなら、強引に家の中に入り込むことはできない。

 では、職権による強制力を持つ警察官が関わればよいのだろうか。単純な方法で確実に解決できるのなら、すでに子ども虐待は、世の中から消滅しているだろう。それが、私の率直な実感だ。

 そして、必要なはずなのに現在まで行われておらず、目黒の女児死亡事件から4ヵ月後に政府がまとめた「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」にも盛り込まれていないことがある。それは、子ども自身の声を聴くことだ。