1970年代に台頭した日本企業は、「ブルー・オーシャン」そのものだった

キム 『ブルー・オーシャン戦略』の初版(2005年)が出た時、最初に出てきた批判は、「なぜ実行の方法をステップ・バイ・ステップでガイドしてくれないのか」ということでした。朝倉さんが指摘されたことと同じです。したがってその後、2015年の『[新版」ブルー・オーシャン戦略』を執筆する際、成功事例を収集したわけです。

世界中に呼びかけましたが、まずアメリカの会社が何百社も手を挙げてくれました。次がヨーロッパの会社です。しかし日本の会社からは全く手が挙がらない(笑)。やってなかったのではなくて謙虚なんです。成功例はたくさんあります。たとえばここにいらっしゃる山口さんも「ブルー・オーシャン戦略」の実行者です。

振り返ってみれば、1970年代の日本企業は「ブルー・オーシャン戦略」で成功しました。ソニーのトリニトロン、ウォークマン、任天堂のゲーム機など、すべてブルー・オーシャンの考え方でした。つまり、アメリカの大企業と競争せず、新しい市場を創造してきた。バリュー・クリエーションです。

入山 なるほど!70年代の日本で台頭した企業は、おしなべてブルー・オーシャンだったと。

キム ところが80年代に入って日本が世界第2位の経済大国として定着すると、マインドセットが変わってしまいました。失うことを恐れ始めたのです。「ほぼ世界の頂点に到達したのだから、ここで失敗したら地位は落ちてしまう」というわけです。

こうして朝倉さんのおっしゃる「PL脳」(前編参照)になってしまい、現状をいかに維持するかが重要で、成長したいという気持ちがなくなってしまった。しかし、今でもリクルートグループの例で分かるように、年間10%の成長は可能です。彼らは日本企業です。山口さんの経験が、「ブルー・オーシャン戦略」を実行すれば成功できることを証明しています。

入山 では逆に、躍進していた70年代日本企業のマインドセットをどのように分析しておられますか。

キム 日本企業が70年代に成功したのは成長マインドがあったからですが、それだけではなくて科学的なプロセスもありました。それがTQM(Total Quality Management)の導入です。TQMはアメリカ人が発明した手法ですが、アメリカには「人間らしさ」(ヒューマンネス)がなかったのです。

日本では科学的なプロセスを実行するだけではなく、その中に「人間らしさ」を入れました。アメリカで「人間らしさ」が必要だと分かったのはその20年後でしょう。「人間らしさ」がなければ、ただの生産性向上です。ステップ・バイ・ステップのステップごとに「人間らしさ」を中心に置いていました。これが70年代日本企業の成功の秘密で、私はここから学び、生産性向上ではなく、“イノベーション”と“クリエイティビティ”を目指したわけです。

入山 先ほどキム教授から「日本人は、なのでブルー・オーシャンの事例がなかなか出てこない」というご指摘がありましたが、とはいえ私が監訳した『新版』では、日本企業の実例を挙げていますので、ぜひ紹介させてください(笑)。たとえば、新日本プロレスです。新日本プロレスは、一時期はストロング・スタイルに徹してマニアしか見なくなり、人気が凋落しました。しかし、その後、木谷高明さんが経営者となり、マニアックさを取り払い、女性や子どもにウケるような、明快さとかっこいいキャラクターのプロレスに変えて成功しました。現在のお客さんの半分以上が女性ですから、まさに全く新しい市場を切り開くブルー・オーシャンにしてしまったわけです。

朝倉さんは、日本企業の実例を思いつきますか。