ハーバードでファイナンスを教える名物教授が、数字やグラフの代わりに文学や映画、歴史や哲学のレンズを通して、お金、金融、リスク、リターンなど、ファイナンスの基本原理と人間の幸福な生き方を教える。ファイナンスを、冷たくて人間味がなくてとっつきにくいと思っている人は多い。たいていの人は「ファイナンス」と聞くと小難しいエリートの学問で、日常生活には関係ないと感じてしまう。中には金融マンや金融業界を毛嫌いする人もいる。だが本来、ファイナンスは人間の本質に深く根付いたものだ。人生の営みそのものと言ってもいい。価値とリスクを将来にわたって見通すノウハウとしてのファイナンスは、そのまま人生に活かせる! ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生に贈られた歴史的名講義が書籍化!本連載では、待望の邦訳『明日を生きるための教養が身につくハーバードのファイナンスの授業』(ミヒル・A・デサイ ハーバード大学教授著 岩瀬大輔解説 関美和訳)から、エッセンスを抜粋して紹介する。

投資では実力と運を見分けるのはむずかしい

 タラントの教えは直観的に価値創造の理論に合うものだが、このたとえの残酷さとはまったく正反対の、重要な概念が金融にはある。その概念とは、金融業界の人間が語りがちな世界観の対極にあるものだ。

 実力主義に基づく残酷な世界観を象徴するのが、「アルファ」という概念だ。金融業界の人間の多く、とりわけ投資家は、自分たちの仕事を「アルファを生み出すこと」と捉え、「ベータで食っている」人間をバカにする傾向がある。これはどういう意味だろう?

 ベータとは、市場と株価の連動性だ。市場との連動性は分散化によっても完全に排除することはできない。だから投資家は必ず市場との連動リスクを背負うことになる。そこで投資家は、そのリスクに対価を求める。

 市場と同じリスクしか負わない投資家は、何の役にも立たない。バリュエーションの論理に従うと、彼らは価値を生み出していないことになる。そんな投資家でも、まだかなりの報酬を受け取っている。つまり、ベータで食っている。先ほどの例に戻ると、彼らはただ期待に応えているだけなのに、価値を生んだつもりになっている。

 そんな「タダ乗り」と違って、「アルファ」は価値創造を意味する。期待リターンを超える部分が、アルファなのだ。リスクに対する期待リターンを超える本当の価値を創り出していれば、「アルファを生み出している」ことになる。アルファを生み出す人だけが本物の金融のプロと見なされる。

 金融の人間は、残酷なタラントのたとえを自分たちの仕事に重ね合わせることが多いが、それは間違っている。彼らは成功の要因をアルファを生み出すことにあると考え、そのことに誇りを持っている。しかし、どこまで自分たちの努力でアルファが生み出されているかは、実のところ正確にはわからない。自分たちがアルファと思っている価値は、アルファでない場合がほとんどだ。

 たとえば、コイン投げの実験を考えてみよう。実力主義が幻想だとわかるのが、この実験だ。どこからがアルファかを判断するのも、それを生み出すのも簡単だという思い込みは、この実験で覆る。

 一部屋に100人の友達を集めて、全員に10回連続でコインを投げてもらい、それを記録する。なかには10回連続で表が出る人が必ずいる。10年連続で市場より高いリターンを上げた投資家がいるのと同じことだ。なぜ同じなのだろう?

 理由は、ランダム性の本質にある。ほとんどは中央に集中するが、端っこに落ちる場合も必ずある。プロの投資家が何万人も何十万人もいるとすれば、その中で特別にパフォーマンスの良い投資家もいるはずだ。

 だが、そのパフォーマンスは、能力とは何の関係もないかもしれない。ただの運ということも、もちろんありえる。端っこにたまたま落ちたのと同じことだ。実際、運だけを考えても、もっと成績の良いプロの投資家がもっと多くてもいいくらいなのだ。

 この実験からわかるのは、金融において運と実力を分けるのが非常に難しいということだ。まず、ランダム性という市場の性質から、どんな成功の法則も確かなものにはなりえない。次に、どのリスクを取ったかをはっきりと特定することができないため、期待リターンもあやふやなものにしかならない。最後に、長期にわたって、一貫して市場を上回るリターンを上げている投資家がほとんどいないことを示す証拠は多い。手数料を引けば特にそうだ。

 この最後の点が、いわゆる効率的市場仮説である。一貫して市場に勝ち続けるのは非常に難しいし、ほぼ不可能かもしれない。この仮説をバカにする人もいる。市場は硬直的で効率的市場仮説は間違っているとみんなに信じさせたほうが、プロの投資家にとっては都合がいいからだ。

 もちろん、すべての情報は今の価格に織り込み済みだとする純粋な効率的市場は、間違っている。しかし、もっと一般的な効率的市場仮説、つまり市場に勝ち続け、継続的にアルファを生み出すのは非常に難しいという説は、かなり真実に近い。

 だから、優れたパフォーマンスは努力と能力の産物だというマッチョな考え方は、割り引いて見たほうがいい。金融業界にありがちな実力主義にまつわる英雄伝説にも、裏付けはない。運を実力のせいにし、パフォーマンスの悪さを例外とするほうが都合がいいのだ。

 実際、金融の世界では、それがまかり通っている。まだあまり知られていないが、この30年でオルタナティブ投資は超巨大な産業になった。オルタナティブ投資の急増の背景にあるのは、ヘッジファンドやプライベート・エクイティ、ベンチャー・キャピタルといった一部の投資家には特別なスキルがあり、彼らならアルファを生み出せるという思い込みだ。

 アルファ創出のスキルが、手数料の根拠になる。キャリーと呼ばれる成功報酬はパフォーマンスにひもづいているので、上手に運用しなければ成功報酬を受け取れないことになっている。

 だが現実はそれほど甘くない。こうした投資家をおしなべると、ベンチマークを上回るリターンは上がっていないし、彼らに特別なスキルがあるかどうかもよくわからない。上位1割だけが例外だ。

 彼らが取っているリスクはベンチマークに連動しないのに、報酬はベンチマークをもとにしている。経営陣の報酬を株価に連動させるのも、それと同じくらい深刻な間違いだ。短い時間軸(10年未満)の中で運と実力を分けるのは、金融市場ではほぼ不可能だ。

 今の社会の報酬制度の大部分はこの事実を反映していないし、これが所得格差の拡大にもつながっている。

 ファイナンスは、「成果は努力と能力の産物だ」という単純な考え方に警鐘を鳴らしてくれる。人生と成功において運は支配的な役割を占めるのに、その役割は過小に評価されている。ファイナンスはそこで、謙虚になれと教えてくれる。

 バリュエーションの論理とは、奉仕と義務の論理であり、もらったものより多くを与えることであり、未来の世代のために働くことであり、結果を努力の産物だと誤解しないことである。それは、当たり前のことだ。人は誰しもこの世界に価値を生み出したいと願っている。ファイナンスにおける価値の追求は、人生における意義の追求と同じことだ。