「テトリス思考」から「マインクラフト思考」へ
このような新しい参加の手段と、それに伴う主体的な意識の高まりは、現代社会に大きな影響をもたらすモデルの重要な要素となっている。たとえばエアビーアンドビー、ウーバー、フェイスブックといった大企業から、ブラック・ライブズ・マターのような政治運動、ギットハブのようなソフトウェア開発プラットフォーム、さらにはテロ組織のISISまで、さまざまな組織がニューパワーを巧みに操っている。
これらを「ニューパワー・モデル」と考えよう。ニューパワー・モデルは、大勢の人の活動によって成り立っている。人びとの活動がなければ、これは空っぽの容器にすぎない。
いっぽう、「オールドパワー・モデル」は、人びとや組織が独占的に所有あるいは制御している物や知識によって成り立っている。その独占状態が崩れたとき、オールドパワー・モデルは競争力を失う。オールドパワー・モデルが我々に求めているのは、規則に従うこと(税金を納める、宿題をするなど)や、消費することだ。
それに対し、ニューパワー・モデルが我々に求めている、あるいは可能にしている活動は、もっと幅広い。アイデアの共有や新しいコンテンツの制作(ユーチューブなど)、ハンドメイド作品のオンライン販売(エッツィなど)だけでなく、コミュニティの形成(ネット上で広がっているトランプ政権への反対運動など)も可能だ。
オールドパワー・モデルとニューパワー・モデルが本質的に異なる点を理解するために、二大コンピュータゲーム、テトリスとマインクラフトの違いを考えてみよう。
1990年代、ゲームボーイの流行によって爆発的な人気を誇った、ブロック消去型ゲーム「テトリス」を覚えている人は多いだろう。その仕組みは単純だ。スクリーンの上部から落ちてくるブロックを、プレイヤーは直線に並べて消去していく。ブロックの落下スピードはどんどん速くなり、最後にはプレイヤーが追いつけなくなる。オールドパワー方式では、プレイヤーの役割は限定されており、システムを打ち負かすことはできない。
ニューパワー・モデルの働きは、テトリスに次ぐ史上2位の大ヒットゲーム「マインクラフト」に似ている。テトリスと同じようにブロックを用いるが、その仕組みは大きく異なる。トップダウン式の仕様ではなく、ボトムアップ式に世界中のプレイヤーたちと協力して、ブロックを組み合わせて世界をつくっていく。すべては人びとの参加意欲にかかっているのだ。
マインクラフトの世界には、家や寺やウォルマートが立ち並び、ドラゴンや洞窟や農場やジェットコースターも登場する。ゲーム内でつくられたコンピュータや、森林火災、迷宮、映画館、ニワトリ、野球場も出てくる。
プレイヤーたちはルールを決め、タスクを設定する。マニュアルは存在せず、プレイヤーたちは他者の前例から学んでいく。他のプレイヤーたちがアップした動画を参照することも多い。「モッダー」と呼ばれるプレイヤーたちは、ゲームの仕様すら自由に変更できる。プレイする人たちがいなければ、マインクラフトはただの荒れ地になってしまうのだ。
現代の世界を動かしている大きな力のひとつは、従来のテトリス式の考え方の人たちと、マインクラフト式の考え方の人たちとの軋轢によって生じている。