絶対化とは、資質や条件を問わせない圧力

 江戸時代からの支配体制も、日本の空気の蔓延に関係している可能性があります。『「空気」の研究』には、君臣の関係について二つの言葉が出てきます。

 「君君たらずんば、臣臣たらず」(トップの資質がなければ部下は部下ではない)
 「君、君たらずとも臣は臣たれ」(トップの資質がなくとも部下は部下であれ)(*2)

 本来、君主が君主であるためには、資質や全体貢献などの条件が不可欠のはずです。しかし、君主の条件を問われないために、神と同じ構造の権威をまとう。これは権威を世襲的に定着させるために、日本社会で行われたことだったと考えられます。

 ところが空気(前提)の絶対化を、集団の支配や規律、扇動の他、実際の問題解決に使用し始めると、恐ろしいことが起こり始めます。実現できる条件をまったく意識せずに、計画を推し進めていくのです。

 しかし「前提が間違えば、前提を絶対視した発想・計画・訓練はすべて無駄になる」のは、物理的な問題解決では当たり前のことです。

 ところが、前提の盲信と同調圧力で計画の推進力をつくり上げると、成立条件を無視する圧力が生まれるため、実行不可能な計画や訓練、発想がどんどん出てきます。

 西欧は、空気をまとうのは神に限定されていますが、日本ではその限定はありません。「君君たらずんば、臣臣たらず」から、「君、君たらずとも臣は臣たれ」への移行をするとき、日本ではトップの資質を問われない無謬性が利用されました。

 権威の絶対化のため、無謬性をまとう。つまり現実を無視することそのものです。

 この構造が、単に社会倫理や規律を構築すること以外に飛び火したことが、日本の近代以降の混乱を招いたと考えることができるのです。

(注)
*2 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) P.135~136

(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)