第3の理由は、政治改革には慎重で、自身に権力を集中させていることだ。

 鄧時代は、毛個人に権力が集中していたため、党や国の政策が毛の「鶴の一声」で決まってしまい、民主集中制がうまく機能しなかった。その反省から、改革開放後は党内民主を重視し、党と政府を分離させるという考え方も出てきた。

 それに対し、習はさまざまな改革指導グループを立ち上げてそのトップに立ち、権限を集中させた。さらに2016年に開かれた第18期六中全会で、自身を毛や鄧に並ぶ「核心」の地位とし、党内で別格の存在となったが、習への「個人崇拝」という弊害を生んだ。

 第4の理由は、自力更生の経済建設を目指していることだ。

 周知のように、自力更生は毛時代の国内建設のやり方である。毛自身は、中国はまだ立ち後れていることから、外国に学ぶ必要性を認めていたが、当時は冷戦の最中であったため、その考え通りにはいかなかった。改革開放後は、毛時代の「戦争と革命」という時代認識を転換させ、「平和と発展」という時代認識の下で、外国の力を借りた発展を図った。だがその一方で外資頼みとなり、中国独自の産業が育たないのではないかという見方があった。

 それが習時代になると、中国が世界第2位の経済大国になり、中国企業も力をつけてきたことから、中国独自のものを追求するようになった。そこで習も、今年の東北視察や広東視察で、「自力更生」という言葉を使った。これは米国との経済戦争に備えるという面もあるが、毛が考えていた「自力更生」にシフトしたともいえる。

決められない政治からの脱却と
既得権益層を打破するためだった

 以上の4つの理由から、改革開放から後退したように見えるが、置かれている時代が違うため一概にはそうはいえない。改革開放が始まった当時は、毛への個人崇拝を打ち破る必要があったので、党内民主を発揚させ、異なる意見も受け入れようという雰囲気ができた。また、経済面では効率が著しく悪く、赤字が積み重なっていた国有企業を改革し、事実上禁止されていた個人企業や民営企業を認めることで、人々の「やる気」を引き出す必要があった。

 一方で現在は、政治面では胡錦濤政権の分権化によって「決められない政治」となった反省から集権化へとシフトし、経済面では既得権益層の壁に阻まれて改革がうまく進まないという状況が出てきたため、管理色の強いものになった。そのため、習は鄧を否定したとは言い難い。