北方領土問題も
「ロシア包囲網」の一環

 日本との北方領土問題もまた、米国の「ロシア包囲網」の一環でした。日米安全保障条約と同じ日に結ばれたサンフランシスコ平和条約(第二次世界大戦の対日講和条約)では、「日本は千島列島を放棄する」と明記されていますが、「北方四島」が千島列島に含まれるかどうかはわざと曖昧にされ、日本とロシアとの間の「喉に刺さったトゲ」として残されました。米国のダレス国務長官は、「日本が北方領土で妥協するなら、沖縄の返還もない」と日本政府に圧力をかけました。この問題がある限り、日本で親ロシア派が政権を取ることはなく、自民党の長期親米政権が続いてきたのです。

 1956年、鳩山一郎首相がソ連のブルガーニン首相とモスクワで会談し、両国の国交を回復し、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の2島を返還する」という日ソ共同宣言に署名しました。ところがソ連は1960年の日米安保条約改定を理由に、平和条約交渉を拒否してきました。

 冷戦終結とソ連崩壊(1991年)後の10年間、エリツィン政権が市場開放に応じて、ソ連包囲網そのものがなくなったため、領土交渉の絶好のチャンスを迎えました。

 ところが1993年、日本では細川連立政権が発足。その後は内閣がくるくる入れ替わる「失われた10年」に突入し、領土交渉に関して貴重な時間を無駄にしてしまいました。

プーチン政権誕生で
「ロシア包囲網」が復活した

 2000年にプーチンがロシア大統領に就任、外資の規制を始めたため、「ロシア包囲網が再構築されました。独自のロシア外交を展開してきた鈴木宗男議員と外務省の佐藤優さんは親米派の小泉政権下で刑事告発され、このパイプは切られてしまいました。日本は再び「ロシア包囲網」に組み込まれたのです。

「ロシア包囲網」に便乗して米国資本を導入し、漁夫の利を得たのが中国でした。ロシアの弱体化によって「北方の脅威」から解放された中国は、経済成長を軍事拡張に直結させ、南シナ海・東シナ海に海軍を展開するようになりました。