バブルは今後も必ず繰り返される
ガルブレイスは『バブルの物語』の最終章で、バブルで傷つかないための現実的な提案をしている。
「現実には、唯一の矯正策は高度の懐疑主義である。すなわち、あまりに明白な楽観ムードがあれば、それはおそらく愚かさの表れだと決めてかかるほどの懐疑主義、そしてまた、巨額な金(かね)の取得・利用・管理は知性とは無関係であると考えるほどの懐疑主義である。」
「ここで、個人投資家ならびに──言うまでもないが──年金基金その他の機関のファンド・マネージャーが指針とすべき絶対確実な準則の一つを示すこととしたい。すなわち、金(かね)と密接にかかわっている人たちは、ひとりよがりな行動や、ひどく過ちに陥りやすい行動をすることがありうる、さらにはそういう行動をしがちである、ということである。この準則を本書全体の教訓ともしておきたい。」
「さらにもう一つの準則は次のことである。すなわち、興奮したムードが市場に拡がったり、投資の見通しが楽観ムードに包まれるような時や、特別な先見の明に基づく独得の機会があるという主張がなされるような時には、良識あるすべての人は渦中に入らない方がよい。これは警戒すべき時なのだ。たぶん、そこには機会があるかもしれない。紅海の底には、かの宝物があるかもしれない。
しかし、そうしたところには妄想と自己欺瞞があるだけだという場合の方がむしろ多いということは、歴史が十分に証明している。」
奇をてらったな提案ではなく、当然といえば当然のことである。まさに「君子危うきに近づかず」。だが、わかっていてもやめられないのが人間の性であろう。そのことを知り尽くしているガルブレイスは、本書の最後に以下のように記して筆をおく。
「本書のような類のエッセイを終わるにあたっては、次のような問いから逃れることはできそうもない。すなわち、この次の大がかりな投機のエピソードはいつ来るだろうか? それはどのようなもの──不動産、証券市場、美術品、ゴルフ場、骨董品の自動車──について起きるだろうか? といった問いである。
こうした問いに答えはない。誰にもわからない。答えようとする人は、自らの無知がわかっていないのだ。しかし、確実なことが一つある。それは、こうしたエピソードはまた生まれるだろうし、その先にはもっとあるだろう、ということである。
昔から言われてきたように、愚者は、早かれ遅かれ、自分の金(かね)を失う。また、悲しいかな、一般的な楽観ムードに呼応し、自分が金融的洞察力を持っているという感じにとらわれる人も、これと同じ運命をたどる。何世紀にもわたって、このとおりであった。遠い将来に至るまで、このとおりであろう。」
(終わり)