ネガティブな話を受けつけない人たち

 素直なのは悪いことではありませんが、なぜ「そうはいってもキレイごとだけじゃなくて、ウラもあるだろう」と思えないのでしょう。

 要因の一つに、彼らが日常的に接しているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は対象に直接つながっているため、自分がその対象の全部を見ている、理解しているような錯覚に陥ってしまうことがあるかもしれません。

 また、デジタルでは少ない文字数でいいきるトーンになりやすいため、物事を短絡的に捉えてしまう傾向も強まっているように感じます。

 つまり、物事は多面的であり、複雑な事情や経緯があるということを想像できない人が増えている気がしてならないのです。だから、逆にネガティブな情報に接すると、途端に拒否反応を起こしてしまうケースもあります。

 以前、女子学生たちに、「仕事と結婚・育児の両立っていったって、現実にはいくら頑張ってもうまくいかない人だっているんだよ」という話をしたところ、「せっかく頑張ろうとしているのに、ネガティブな話は聞きたくない」「ガッカリしてやる気が失せてしまった」という反応が返ってきました。

 ともかく夢を追いかけたい、夢を見たい、あるいは見せてほしいということなのでしょうか。

 というふうに考えると、今の若者が抱える「自分はこんなはずじゃなかったのに」といった不本意な思いや、閉塞感は想像以上に深いのかもしれません。

 とはいえ、キレイな成功談だけを素直に信じ、その通りにやってもうまくいくとは限りません。実際、ボロボロになるまで頑張ったのにうまくいかず傷ついた人に診察室で何人も会ってきました。

 今、うまくいっている人がこの先もずっと成功し続けることはないでしょうし、逆も然りです。だから、成功談や失敗談に過剰に反応し、右往左往するのはもったいない。人生にはいろんなことがあって、うまくいくこともあれば、そうじゃない時もある。それぐらいのスタンスで、物事を見る姿勢を身につけることが必要なのではないでしょうか。