速読では読書の価値はゼロに等しい

現代でも、教養を最短距離で手っ取り早くマスターする方法はない。
それだけは、はっきりと断言できる。
なぜなら教養とは、曲がりくねった山道をさんざん回り道しながら、
気がついたら備わっていたという類いの素養だからである。
短時間で教養を得たいという態度が、根本的に間違っている。

「では、教養を身につけるにはどうしたらいいのですか?」と問われたら、
私は迷いなく「黙って本をお読みなさい」と答える。

書物に真正面から向き合うと、本は1日に何冊も読めるものではない。
斜め読みや速読では、読書の価値は半減どころかゼロに等しい。
それをもどかしく感じる人もいるだろうが、そこで焦ってはいけないのだ。
日々の積み重ねで読書を続けるうちに、いつの間にか教養は涵養される。

物心がついた頃からパソコンとインターネットが存在していたデジタルネイティブ
の世代は、
何にしても疑問を持ったらスマホで検索すれば、
すぐに答えが出てくるのが当たり前という前提で生きている。
検索エンジンにキーワードを打ち込めば、
目にもとまらぬスピードで検索結果を表示してくれる。
そこから気になるサイトをクリックしてコンテンツを読めば、最低限の知識は得られる。

検索エンジンのスピード感で生きていると、
1冊の書物を1週間かけて慈しむように読むといったスピード感は、
恐ろしくスローテンポでアナログに思えるだろう。
しかし、そのスローテンポにこそ、意味があるのだ。

ネット時代のスピード感は、人間の感覚からは大きくかけ離れている。
スピード重視で培った一夜漬けの知識は、インスタントでその場限りのものだ。
検索結果に満足して、その日のうちに忘れてしまうから、
蓄積して教養へと深化するだけの時間的な余裕がない。

それに比べると、読書を通した知識の蓄積は、極めてスローテンポである。
インスタントコーヒーと違って、美味しいドリップコーヒーの抽出には時間を要するよう
に、
知識を教養へと昇華させるには、それなりの時間がいる。
読書は、その機会を与えてくれるのだ。

かといって書斎に閉じこもり、ただ書物を読むだけでは、教養はものにならない。
美術館で絵画を観たり、音楽会で生の音楽を聴いたりするのもいい。
あるいは、新しいスポットや飲食店に足を運び、刺激を受けることも大切だ。

さらには教養のある知人と深く話し合い、広範な話題について語り合うのも、
教養を高めるにはとても重要だ。
頭でっかちでは、教養が発揮するパワーは限られる。
読書に加えて、こうしたアクションを起こすと、教養は深化していくのである。

【次回へ続く】

堀 紘一(ほり・こういち)
1945年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業後、読売新聞経済部を経て、73年から三菱商事に勤務。ハーバード・ビジネススクールでMBA with High Distinction(Baker Scholar)を日本人として初めて取得後、ボストンコンサルティンググループで国内外の一流企業の経営戦略策定を支援する。89年より同社代表取締役社長。2000年6月、ベンチャー企業の支援・コンサルティングを行うドリームインキュベータを設立、代表取締役社長に就任。05年9月、同社を東証1部に上場させる。現在、取締役ファウンダ