この提言を議論した過程で「透析非導入」や「継続中止」という言葉について、「一般の人にとっては厳しい言葉かもしれない」という意見があったため、原則的に「透析治療の中止」とは言わず、「見合わせ」と言い換えている。

 同学会の理事でもある川島病院(徳島県)腎臓内科の岡田一義副院長が「透析を何らかの状況により実施しなくても、その後、状況が変わった場合には、いつでも実施する意味をもたせる」と指摘したからだったという(*1)。

 提言では、この患者への選択肢の提示は、医療経済とは関連させない、患者の年齢の議論はしないを原則とする。また、提言には「透析見合わせを検討するとき(終末期)の患者の病態」「患者と話し合うときの手順や注意」「話し合った結果を書面に残すこと」「見合わせ後の緩和ケアの提供」について、指針が記載されている。

 全体的に、同学会は時間をかけて、丁寧にこの提言を作成してきたことを感じさせる。

 このような経緯から、全国の透析医が患者に「治療を受けるかやめるか」の選択肢を提示する動きが広がったのだろう。医療者の教育では、それが真摯(しんし)な対応と考えられていることもあるように感じる。

 だが、鳥取大学医学部の安藤泰至(やすのり)准教授(生命倫理・死生学等)は、医師から患者に透析の見合わせを選択肢として提示することについて「慎重であるべき」と指摘する。

「医師は単に選択肢をニュートラルに示しているつもりでも、患者と医師の間には明らかな力関係があり、誘導に近い形になることもある。患者や家族との十分な話し合いの末、そのような選択肢が出てくることはあるだろうが、最初から死に至るような選択肢を提示することには反対です」(安藤准教授)

病院医療に
社会が参画するためには

 医師が治療の選択肢を提示したとき、患者が受けたくないと言うことはありうるだろう。

 前述の学会の提言には「患者の尊厳を考慮した結果、透析の見合わせも最善の治療という選択肢になりうる」とも記載されている。その場合は「倫理委員会や外部委員の助言を受けることが望ましい」とされている。「望ましい」と努力義務として書かれているのは、透析治療は医師が1人しかいない診療所で実施されていることも多く、また、そうでない病院でも患者が出るたびに外部委員の出席も必要な倫理委員会を開催することが現実的ではないという声があるからだ。